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映画を観る理由。


なんでここまで映画を観るようになったのだろうか。改めて考えてみた。

小さい頃から映画は僕の日常の一部だった。映画を観るという習慣があった。試写会に行ったり、買ったり借りてきたりしたDVDを家族で見たり、金曜ロードショーを観たり。


大学生になってから特に映画を観る機会は増えた。

縛られるものが無くなったのこと、近くにたくさんの映画館があったこと、時間を持て余して暇していたこと。

そんなことが重なり合って映画を観る機会が増えた。

映画を観に行く友達も数人いて、たまにこれ観に行こうぜって観にいったりもした。


あとは映画を教えてくれる人が僕にはいた。これが面白いと勧めてくれたり、感想を言い合ったりそういう話ができる人がいたのも大きかった。また家族も映画を割と観る方なのでそういったところで映画を観るということにたいしてのハードルが低かった。


ここまでは外的要因の話だが、なぜこれほどまで自分は映画を観たくなるのだろうか。

初めは間違いなく現実逃避したかったからだと思う。

映画の世界観に魅了され、その世界に居たかった。現実も嫌いじゃなけど、あっちの世界の方がキラキラしていて憧れた。現実と映画の世界を比較して起きる現実逃避の時間だった。とにかく我を忘れて、時間を忘れてその世界に入り込むのが好きだった。


それからジャンルも幅広く観るようになって観る理由は変わってきた。

現実逃避の映画鑑賞に現実の自分が介入し始めたのだ。

主人公の境遇と自分の境遇に近いものを感じて共感し、勇気を貰うようになった。自分との考え方の違いに気付き、自分の幅を広げられるようになった。この作品を観て、自分が何を思うかどう感じるかを考えるようになっていた。現実逃避だった映画が自分のための映画になり始めていたが、その時はまだそれに気付けてはいなかった。


そして、ひとつの作品に出会った。それがジム・ジャームッシュ監督の『パターソン』だった。

この作品を観た時に自分の中で映画を観るということへの認識が明確に変わった。気付けていなかった映画を観ている理由に気が付いた。現実の自分がより良い生活をすることができるように、価値観や見識を広げることができるように、大きなことから小さなことまで自分の知らない・気付いていないことを知る・気付くために自分は映画を観ているんだとその時に思った。


今もそれが理由で映画を観ているが、最近はまた少し映画を観る理由が変わってきている。

映画から得たものを他の人にも経験してほしい。そんな映画を広めるために、恩返しするために。そんな理由も最近は少し含まれてきているような気がする。映画を観て、何を感じたかを自分の中で言語化して発信する。それで映画を観てくれる人が増えたらなと思う。そしてやはりそんな力のある映画を作りたいという気持ちで映画を観るようにもなっている。映画を作るために映画を観るようになっている自分もいる。


現実逃避だとか、自分のためだとか、デートするからとか、時間を潰すためだとか。映画を観る理由なんて本当に何でもいいと思う。というか、映画を観るのに理由なんていらないとすら思う。

映画を観る理由とか見出しにしておいて、こんなことをいうのはどうなのと自分でも思う。

でも、この記事を書いていて感じたのは映画を観て何を感じたがっていうことの方がよっぽど大事だなと感じたし、映画を観る理由って割と後付けて出てくるものだなと思った。

結局、何が書きたかったのか自分でもよくわからなくなっちゃったけど、ひとつだけたしかに言えることがある。

それは、

みんな、これからも映画観よーなーーーー!

ってことだ。

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