『トリコロール/青の愛』愛する人の死を忘れるのではなく、向き合うことで乗り越える <★3.7/5、2022年5本目>
<映画情報>
『トリコロール/青の愛』1993年
監督: クシシュトフ・キェシロフスキ
<1文内容紹介>
作曲家の夫パトリスを亡くしたジュリーが、彼の人生に向き合うことで死を乗り越える
<ネタバレ感想>
愛する家族の死
主人公ジュリー、有名な作曲家の夫パトリス、娘のアンナの乗った車が事故に遭う。生き残ったのはジュリーただ一人だった。
この冒頭のシーンが過剰に芸術的に描かれている。ジュリーの瞳を大写しし、そこに話し相手の姿を写し込む。瞳に反射するのは、病床に臥すジュリーからみた世界なのだ。ガラスの使い方も効果的だった。ガラスに映る姿はどこか現実離れしてて、事故で夫と娘を失ったことを受け入れられないジュリーの心象風景を見ているかのようだった。
痕跡
退院したジュリーはパトリスの痕跡を消そうとする。共に暮らした屋敷は家具を処分し、売りに出すことにした。インタビューは拒否する。パトリスが取り組んでいた未完の楽譜は回収し、破棄した。自分に好意があると知っているオリヴィエを呼び出し、寝た。仕上げに新しい家を見つけ、パトリスのいない生活へと一歩を踏み出す。
だが彼と過ごした過去から逃れるのは容易ではない。事故のときに十字架のネックレスを拾った少年が、届けに会いにきてくれた。路上演奏は夫の曲に聞こえる。気晴らしにプールに入っても、パトリス作曲の一小節が響き渡る。
止めを刺したのは、オリヴィエがこっそり保管していたパトリスの遺作と写真だ。写真にはジュリーが知らない愛人サンドリーヌが写っていた。
サンドリーヌに会いにいくジュリー。彼女はパトリスの子を身籠もっていた。だがジュリーに怒りが湧くわけではない。ジュリーが消そうとしたパトリスの痕跡、それは消えることなく、生き続けるジュリーに手を替え品を替え迫り続ける。
「消す」から「向き合う」へ
ここにきてジュリーは漸くパトリスに向き合う覚悟ができた。オリヴィエの力を借りつつ、未完の交響曲を遂に完成させた。
テーマが『ドライブ・マイ・カー』にとても似ている。辛いことには目と耳を塞ぎたくなるのが人間の性だ。だけれども、それでは相手を理解することもできなければ、自分自身が死を受け入れることもできない。
ジュリーは愛する夫パトリスを失ってしまった。しかも彼にはジュリーの知らない秘密がたくさんあった。
初めはパトリスの痕跡を消し、過去を忘れてしまおうとするジュリー。それでも彼の過去は現世に強く根を張っていてなくならない。
ジュリーが救われたのは、パトリスの生み残したものに向き合ったからだ。
遺作の完成を通じて彼に向き合うことができた。彼の意図を遺品から読み取り、作品にした。愛人を探したことで隠し子がいることがわかり、屋敷の売却を中止してケジメをつけた。誰かを思うのなら、辛くとも彼/彼女の目線に立つことが大事なる。
娼婦ルシールがジュリーに前に進む力を与えた。彼女は自らの意思で仕事をする。劇場に父親の姿をみかけようとも、心が折れて帰ったりしない。ジュリーの助けを借り、目の前の現実に立ち向かっていく。
全編に渡って演出が過剰なきらいもあったが、美しい絵が続き「映画」に仕上がっていた。
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