見出し画像

言語化で孤独と闘う

良く晴れた雲一つない日曜日の午後ですね。外に出れば容赦ない太陽光線に肌をじりじりと焼かれじっとりと背中を伝う汗の不快感と闘うことになるのでしょうが、快適クーラー空間のベッドに横たわり窓と向かいに見える建物に切り取られた人工的な青い空を見上げていると、夏も悪くないなと思いますね。

noteを書くのは一体いつぶりなのでしょうか。
随分長い間noteを書いていませんでした。でも書くこと自体はこの間も密かに楽しんでおりました。自分だけが読む日記に向かってつらつらと心に浮かぶことを何の制限もなく書き連ねるのは何とも心地よいことです。自己満足の世界ですが、それによって誰かを傷つけることもありません。自分の思考を整理して人に共有するために言語化する場所や時間を今まで意識的に作ってこなかったので、日記を書くことはとてもよい言語化練習になりました。
そんな長い時期を経てまた誰かに読んでもらえる文章を書いてみたく思ったわけであります。

久しぶりに書くとは言え私の中で文章に触れるのは久しぶりではありません。とはいえ技術的なこと何も知らないわけで、結局は素人が書く文章には違いない。せめて内容だけでも、何か読んでよかったと思える文章にしてみようかと思います。

先日人と「言語化することのない感情を感じることは不可能」ということを話しました。何かを感じ取った際、これが「嬉しい」という感情なのだと言語化することでそれを「嬉しい」という感情として認識できるのではないかと。また更に「嬉しい」という感情の中でもどう嬉しいのか、といったより詳細な感情の機微を感じとるためには更なる詳細な言語化が必要ではないのかと。言語化できない感情は、それを絵や旋律などで表現する方法を持たない限り、多くの人にとって最も身近にある表現手段となる言語で表現できない時点でそれを感じとることは難しいのだと思われます。

人と人との距離感がかなり近づいたこの時代において、手段としては様々な方法で繋がることができるのに、何か孤独を感じる人が少なくないのは、この言語化能力の低下にあるのではないか…自分もそうですが、言語化できないということは人にそれを伝えることができない。感情を共有できない。ただ漠然とした曖昧な言葉で曖昧な輪郭でしか自分の今感じていることを表現できず、共有することができないから、「楽しいね」と笑い合う中に孤独の影が忍び寄る…自分が今何を感じているのか何を思っているのかということに目を向けずに生きていくことは恐らく可能で、何となくの借り物の感情と言葉で、何となく人と繋がった気持ちにはなれます。

でも何となく寂しい。

私は映画や本や音楽といった様々な表現作品を通してこうした寂しさを埋めてきたようなところがあります。人と一緒に時間を過ごすのが上手くなくて、家にこもって1人で何かをするのが好きな自分にとって映画や本や音楽はとてもありがたいものです。でも結局それもただ観たり、読んだり、聴いたりするだけでは全く埋まらないのです。共感できたり、自分との違いにハッとさせられたり、好奇心を刺激されたりすることで、作品との繋がりを密に感じることができました。この作品とは特別な関係を持てたと、まあ私が一方的にそう思うのですが、孤独を癒すような繋がりを感じることができます。そうしてその作品に対して自分の感じたことを誰かに伝えたり、伝えた相手とそれについて話し合ったりすることもまた、この孤独を癒すことに繋がりました。

言語化する内容の稚拙はきっと関係なくて、映画で言うと物語の構造や主題について語る必要はなくて、一瞬映った小さな子どものおもちゃが自分にはたまらなく愛おしく思えたとか、そういうことの積み重ねが孤独の克服に繋がるのではないかと思っています。何を感じてもいいし、何と思ってもいいという環境においても、誰かの視線や思考が気になって言語化を妨げている今の時代の状況があるので、日記とかそういう自分だけの場所に少しずつ書き留めていくのがおすすめだなと思います。自分の中で感じることを言語化しておくことの重要性は、それが孤独と闘う武器になるからだと私は思います。特に誰かの視線や思考が気になってしまう私のような人間ほど、この言語化の武器が必要なのだと思います。

とはいえ私自身まだまだこれが武器になっているような状態ではなく、ただ人よりかはそれを楽しめるけれど…というような状態です。もっと言語化できるものを増やしたい。思考を深めるためにも必要なことです。言語化できないことは思考できない、と虫の好かない自己啓発本の類にも書いてあります。虫が好かないけど言ってることは正しいから…私自身がまだこのあたりについてもやった感情を抱えていて言語化できていないのでまだ詳細に書けないのですが…

ということで言語化で孤独と闘っていけたらなと思う今日この頃です。まあでも言語化した内容を共有できる人間と巡り合えるかどうかはまた別問題ということであります。でもきっとそうやって生きてたら同じ匂いのする人間は自然と寄ってくるのだと思ってもいます。諦めずに言語化していたいと思います。お付き合いいただきありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?