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人生の棚卸① ~幼少期 パラダイスからカオスへ~

「自分が分からなくなってしまった」ことによる不安感が半端なかった経験から、カウンセリングの力を借りることにしたのが約2年前。その際に、過去の自分を振り返ることを感情面にフォーカスして取り組んできており、現在進行形でもある。こうした経緯から、「自己表現」をしたいと思うように最近なってきたこともあり、もう一度振り返って整理してみようと思う。内容は決して華やかではないのでご注意ください・・・


幼少期のころの記憶などほんとに曖昧なもので、インパクトがあるものが部分的に記憶として残っている。それは既に【事柄】となっており、そこに【感情】は付加されていない。トラウマ的なことには至っていないが、社会のロボットを形成するには十分な出来事であったのかもしれない。


今の自分からは到底想像もできないが、小学低学年のころの自分は、まさに天真爛漫と言っても過言ではないくらい明るく感情表現も豊かであった。自分の誕生日会を自分でプロデュースして、招待者みんなが楽しむ方法を真剣に考え実行していたり、仲良くなりたい人にはニックネームをつけて距離を縮めてみたりしていた自分。怖いもの知らずな自分。いつも周りには人がいたことを記憶している。


小学高学年になると一転、周りの人が離れていくのを感じるようになる。それまで好意的であった同級生もよそよそしくなった。さらに自分が中性的な雰囲気であったことを発端に中傷されるようになる。いわゆるいじめである。殴られるなど物理的ないじめはなかったけど、無視や近寄るなと言われたり、近所の親御さんに遊ばないよう禁止令が出ていたりと、精神的なダメージを伴うものが多かったように思う。その中でも、集合写真で一緒に写りたくないと言われたことは今でも忘れられない。それでもなぜか休むことは一日もなく皆勤であったことは不思議に思う。そのころにいつも念じていたことは、「自分よりもっと辛い思いをしている人がいる」だった。空想上の自分より辛い思いをしている人物を作ることでバランスをとっていたのだろう。

空想スキルはすでにこの頃から開花していたようだ。


今考えてみても、どうして人から忌み嫌われることになったのか分からない。小学生の自分が考え抜いた結論。それは自分は天真爛漫などではなく、自己主張が強くわがままでめんどくさい人間、嫌われて当然の人間であったことが人を遠ざけることに繋がったのではないかと。

こうした考えを抱き、中学に進学するのである。


それから何十年も悩み、不甲斐ない自分を責め、時に放棄し、心を閉じ・・・そして30数年後にようやく自分と向き合うことになるなんて思いもしなかったな・・・



to be continued...



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