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表現することと伝えることの違い

長らく下書きに残してしまっていたこの記事。
「何を書きたかったのか」というよりも、このタイトルがとてつもなく大きなテーマであり大切なことなのは分かっているのだけど、わたしにこれを伝える力がないなと思い続けていたというのに近い。

でも、もしかしたらわたしにもうまく伝えられるかもしれない、とおもったのはこのポールコックス展のおかげです。

今年の頭まで板橋区美術館で開催されていたこの展示会に友人と足を運んだのはよく晴れた、冷えた日だった。

ポップでカラフルでキャッチ―なポールコックスの絵は、日本においても絵本や広告・無印とのコラボレーションなどで広く知られている。

でも、私は彼の作品の中でも風景画に強く惹かれた。

彼の独自の色使いはそのままに、ポスターのはっきりした筆遣いとはがらっと色を変えた風景画は展示の中でもひときわ目立っていた。

表現したものの意味は、時に相手には違う意味で伝わったりもする。
同じもの・言葉でも、それまでの積み重ねや受け取り手の状態、相手への感情で180度変わって伝わることもある。

ポールコックスは、そんな表現と感想のぐるぐるの中で鑑賞者に媚びることなく伝えたいものを伝えたいままに表現していたように感じた。
いわば「ワガママ」な芸術家だ。

もちろんひらがな絵文字やローラースケープなどのインスタレーションは見ている人が楽しめるよう制作されていた。

でもそれもまた、彼の感じたままをそのまま残している。

鑑賞者が理解できればそれはもちろんいいし、できなくてもきっと楽しんでくれるだろうというポップな意思が伝わってくるようだった。

風景画ももちろん、彼の思いのままに描かれていた。

もしかしたら世の中の芸術家は表現したいものをそのまま書いている人の方が多いのかもしれない、私が知らないだけで。
でも彼の絵を見たときより強く感じたのは紛れもない事実で。

ポスターも絵本も、そして風景画も思いのままに操るポールコックスという芸術家にもっともっと注目していきたいなと思った。

そしてわたしももっと表現することも、それによって誰かになにか大切なことを伝えることもじょうずになりたい。


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