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【読書感想文】祖父と私と今

前回からの続き。

そしてこの第三部で閉じる予定。
ちなみに読んだ本はこちら。



祖父を想う

本書の筆者に対しても、そして本書で語られる思想家たちに対しても、彼/彼女らを思う私はいつも「敵わないな」と思ってしまう。

対象は明治・大正・昭和を生きた人であり、彼らの思索の深さ、意志の強靭さ、貫き通す信念の崇高さ、何を取っても「敵わないな」と思う。

◆◆◆

本書を読んで浮かんだことのもう一つが、私の父方の祖父についてである。

最近まで、父方祖父についてほとんど何も知らなかった。
知っていたのは、父が中学の修学旅行から帰ってきたら死んでいたこと、おそらくアルコール依存症であったことくらいだった。(私とアルコールは何等か血縁由来の因縁があるようで、それもいつか書いてみたい)

そんな祖父について、最近父がぽろっと話したことがあった。

元来武士家系で、祖父の父に当たる曽祖父は官僚的な立場で優秀なエリートだった。祖父も無線技士か何かでそれなりの技術職だったようだが、試験か就職の折に何か上手くいかず、いわゆるエリートコースから落ちてしまったらしい。

結果どうなったか。

おそらくプライドも高く、職はあったもののコースから外れたことが許せなかったのだろう、不遇さを嘆き続けていたこと、左に走って社会主義的(プロレタリア的?)な思想に傾倒していたこと、そのまま酒に溺れて多臓器不全で亡くなったこと。

客観的に読むと、自分の不遇さを受け入れられない高慢な人間の哀れな生涯にも読めるが、文字通り他人事ではない私には、身に迫るものがあった。

高慢さやナルシシズムだけで片づけられない、頑強な信念や、内に燃える揺らがなさ、自分はかくあるべきであるという芯のようなモノを感じずにはいられない。アルコールに溺れて死に向かうことすらも、消去法的ではなく、確固とした能動的な選択をしているように、私には感じられてしまうし、それはどうにも「敵わない」と感じてしまうのである。

もしかすると、私はそこに美しさすら覚えているのかもしれない。これを人は、美学と呼ぶのだろうか。


なら、私はどうか

多分私なら、そんな死に方はしない。
もっと要領よく、適当な職を見つけて、そこそこの生計を立てて、なんとなく生きていくのだろうと思う。

「いや、そうじゃないだろ?」
と私の中の私が否定する声もある。

見せかけはそうできるが、心の中ではどこかで祖父と同じように、自分の不遇さを呪い、自分の生きたいと思う道をしっかりと見定め、そこにそぐわない自分を永遠に許せず、その苦しみに耐えきれず、かといって逃げ切ることも出来ず、酒で意識をぼかしながらギリギリを生きるという選択肢も、私の中にきっとあるのだ。

じゃあ、今に生きる私はどうか。
私はいつも考えてしまう。

こんなにいろんなものに恵まれた私は、祖父のように物事や自分自身に対してきちんと向き合っているだろうか。

手を抜いているのではないか。

もっと出来るはずなのに、なんでしないのか。

本当に命を捨てる覚悟で、物事に取り組まないのはなぜか。

私の中では日夜、こんな声がこだまする。
それはもはや自虐的ですらあり、祖父が酒に逃げ場を求めていたのも、これらから逃げるための数少ない方法だったのかもしれない。


「それはあなたじゃないんじゃない?」

こういう話をある人にした時に言われた言葉がこれだった。

「それはあなたじゃないんじゃない?」

「あなたは今を生きてるんだから、昔の人とは違って然るべきじゃないの?」

「確かに、何かを成し遂げられるかもしれないけど、今のあなたにも良いところはあるよ」

当時の感動を文字に乗せられない自分の能力の乏しさが悔しいが、意外と心を動かす言葉は平凡で、余計な修飾はない方が良いのかもしれない。

これを聞いてふと思ったのは、私は今を生きているだろうかということだった。

過去を理想化して自分を卑下し、未来を思い描いて自分の至らなさを腐して、そうして自分を傷付けて安心していただけではないだろうか、と。

あまつさえ、そうした自分にしておくことで、誰かに許してもらおうという浅はかな魂胆がそこにはなかっただろうか、と。

過去と未来に意固地になった自分に気付いて、少しだけそれを認められたとき、それが自分で自分を許すことだったかもしれないが、ほんのりと気楽になった気がした。


きっと過去の彼らのようにはなれないし、祖父のようにもなれないだろう。

でも私はきっと私だし、過去の人々が築いた礎に乗っからせてもらって、私は新しい地平を見よう。そして困ったら、またこの礎に帰ってこよう。


今は、そんな思い。




【あとがき】
「三部作にしよう」とだけ決めて見切り発車し、とても難産になりました。ジョージ・ルーカスって凄いんだなと改めて思いました。
ちなみにこのタイトルは私のnoteで最も読まれているものをパロっていて、あちらがA面ならこちらはB面であり、あちらがポジならこちらはネガです。両方合わせて私です。
本を読んだことや他者から言われたこと、自分の中で感じたことを、改めてきちんと言葉にして、形に落とすことは難しいですね。妙に卑下したり、過大表現しないためには、誠実に観察して冷静に批判するしなやかさが必要なようです。そう思うと、鶴見氏の眼力や奥深さを再確認させられるように思います。
そうそう、三部作と言ってましたが、実はもう一本おまけがあって、それも書いておこうと思っています。スピンオフですね、スターウォーズよろしく。ということで、結びはマスターヨーダがルークを見定めて伝えた厳しいお言葉で締めたいと思います。

――この男の目は今ではなく未来ばかりを見ておる。

いつだってヨーダは偉大


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