がんを患った愛しき友

普段、ほぼニュースチェック用ツールと化しているLINEにグループトークの招待が来た。高校時代の友人美和子からだった。私の気持ちが少し重くなった。暁子の事だろうか。
美和子、暁子とは学生時代同じ学び舎で青春時代を過ごした親友だった。卒業後、二人は夜の蝶になってやるぜといいながら、結婚願望の強かった私の頭を飛び越えて早々と結婚。子供が何人か授かった数年後、それぞれ結婚生活で色々あったのか早々と離婚しシングルマザーで子育てをしていた。
私はというと願望の割にはなかなか結婚には至らず、ボヤボヤしていると私が結婚する前に孫の出産祝いを送る羽目になってしまうのではないかとヒヤヒヤする歳になっていた。

そんな時、暁子から結婚パーティの招待状が届いた。んだよ、私は一度もウエディングドレスに袖を通していないのに、2回めかよ羨ましいな、などとちょっぴり卑屈まじりの羨ましさを抱えながらパーティに行った。
パーティには暁子の友達や彼の友達、そして暁子の親御さんが出席していた。暁子のお母さんとお会いするのは学生時代以来だったので、お祝いとご挨拶をしに親族席に顔を出したら、お母さんは祝いの場ではあり得ないような悲壮な表情をしていた。

ワイワイと歓談している賑わいの中、暁子が癌を患っている事を聞かされた。
ドラマの演出などでよく、衝撃を受ける場面を描くときに周りを真っ白にしたり無音にしたりという事があるが、正にそのような感覚だった。細かい内容は記憶が飛んでしまって覚えていないが、暁子は肺がんを患っていること、手術は出来ないこと、このパーティは結婚パーティとしているが、入籍はしていないことは覚えている。私は目から零れ落ちるものを遮るように、大げさにはしゃいでワインを呷った。

私も前年に癌ではないものの入院・手術を受けた。それ自体は命に関わるものではなかったのだが、それに伴う検査の中で、お腹のリンパ節が腫れていることが分かった。医師から、最悪の場合悪性リンパ腫の可能性もありますと言われた時、もしそうだったらどうしよう、親はどう思うだろうか、治療はどんなことをするのだろう、どれくらい生きられるのだろうか、などと確定もしていないのに大きな絶望感を感じていた。
精密検査の結果は問題無かったが、その”最悪の場合”が暁子は現実のものとなってしまっているのだ。それが私の胸に深く刺さった。

それから数年、抗がん剤や放射線治療をしながら、暁子はわりと元気に過ごしていた。髪が抜けたり酷い口内炎が出来るなど抗がん剤の副作用はあったものの、お見舞いに行くと「下でコーヒー飲もうよ」と、普段と変わらないノリで楽しいおしゃべりをした。
入院してない時は、彼と色んな所に出かけた。その様子を、私はLINEのタイムラインで見てはホッとしていた。

そんな暁子だったが、昨年終わりくらいから徐々に動けなくなっていった。初めて話を聞いた段階で既に転移があると言われていたのだが、その影響だろうか、先日お見舞いに行った時は起き上がってはいたものの、ベッドからは降りず病室で話をした。
ベッドの傍らには杖があり、以前より動けなくなっているのが察せられた。それに加え、暁子は肌が真っ白だった。美白化粧水何使っているの?などと聞きたくなるような白さではなく、血の気のない病的な白さだった。今回の入院で抗がん剤に加え輸血もしたと言っていた。 

美和子からLINEが来たのはそれから少ししての事だった。抗がん剤が効かなくなって来たこと、これからは緩和ケアをしていくこと、自力での歩行はほぼ無理、貧血が酷い、状態は良くないことが綴られていた。スマホの画面を見ながら涙が溢れた。
人間、年齢順ではないと昔から散々言われているとはいえ、学生時代からの親友が遠くない未来にいなくなってしまうかもしれない。一番苦しいのは暁子なのだから、本当はそんなことを考えてはいけないのは重々承知してはいても後ろ向きな考えた頭をもたげてしまう。

しかし、暁子の前では泣く訳にはいかない。
一緒に過ごす時は学生時代と変わらずいつものように馬鹿話をしよう。ほんの少しでも楽しい時間を送れるように。

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