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学生を辞めフラフラしてたあと。

自由な生き方を求めて大学を辞めなんとなく大阪に行き友達と朝から晩まで遊んで
色々ありながら東京に戻ってきた。

幸い弟のアパートで暮らせることになったけど、仕事もしてないしとにかく求人サイトを見まくった。
自分に向いてる仕事なんてないと思いながら見ていた。
まあ強いていうなら携帯をいじるのは好きだからという単純な理由でauショップの求人に応募して務めることにした。

意外と向いていたみたいでまずやることはクレジットカードの営業を来店したお客様にかけていくことからのスタートでいきなり初月で数十人の契約が取れた。
そしてどんどん仕事を覚えていきタブレットとかめちゃくちゃ売ってたような気がする。
仕事は結構楽しかったし、やりがいもあった。
ただ朝が弱いのと時間に昔からルーズでよく遅刻していた。(今でも治ってない。)

その頃に高校のサッカー部の時の親友が東京に大学で住んでいてよく渋谷とか下北沢の方に飲みに行っていた。
高校の同級生と東京で遊んでる感じは最高だった。
そいつから高校の同級生(女の子)、まだ一人いるから3人で飲もうって話になった。
僕は子と一回も話したことがなかったけど聞くと、高校を卒業してからオーストラリアにワーホリに行って帰ってきて今は三菱重工で働いてるって感じだった。
女なのにパワフルでかっこいいなーってシンプルに思いながら、僕も海外が好きで〜って会話からすぐ意気投合してその後3人で朝まで話していた。

すぐに付き合うことになって一年も経たないくらいで結婚して子供もできた。
仕事のストレスと重労働で奥さんは仕事を辞めたいということで辞めた後で物件とか色々探すけど、家賃も高いし子育てしながら東京で生活するイメージができなかった。
だから東京は好きだったし都落ちみたいで嫌だったけど地元に帰って生活することに決めた。
携帯ショップでそのまま地元の支店を紹介されて働く予定だったが、家業を手伝えとのことで辞めて家業である観光施設で働くことになった。



地元

結果としてここで働く事が自分の人生の大きなターニングポイントとなった。
働いている親戚の役員をはじめ仕事ができる人が大勢いた。
まず僕は施設内にある食事会場から下げられてくる皿洗いや数百人分の食事の準備という仕事をもらった。
食事会場は一年位やったかな、めっちゃ大変だった。
とにかく大きい食事会場だから毎日数百人の団体さんの予約があって朝早く夜も遅い時もあった。
ここでも仕事は楽しくやりがいもあったけど娘の成長を見れてないかもと思いながら仕事をしていた。
従業員でも大変だったけどそれを抱える経営サイドはもっとハードに働いていた。
すごいなと思う反面自分も将来このレベルで仕事をするイメージができなかった。
だから経済や経営について勉強しようと思った。

本も結構読んだしその著者がしている経済セミナーやユーチューブを見まくった。
その結果わかったことは、今の日本経済の状態は下りエスカレーターだなって思った。
将来予測で最も正確なのは人口推移。今生まれた子供が20年後に急に増えたりはしない。つまりそのままか、減る一方。働き手が減少し2025年問題で4人に1人が75歳以上に。GDPは30年間横ばい。それに比べて先進国は右肩上がり。
デフレスパイラルで物価は上がらず、給料も上がらず物やサービスが売れづらい。
そしてその頃から景気が悪く物価が上昇するスタグフレーションの可能性も言われていた。(実際今は物価が上昇しているのだか景気は悪い)
終身雇用もないし、年金も少なそうだと容易に想像ができた。
社会保障が国家予算を圧迫し日本の成長産業への投資が少ないのもあり今後も右肩下がりなのかなと思ってしまう状況。
そして2人に1人がガンで心筋梗塞や脳梗塞、アレルギーやうつ病、糖尿病も増えている中でお金もそうだが自分の健康も守ることをしなければ生産できない、つまり仕事がしたくてもできない状況になる割合も増えてる。

とにかく知れば知るほど不安になる情報が多かった。
何か+αで収入源を作らないとって本気で思った。
この状況で周りの友達は情報をシェアしてもなんとなるでしょって人が多くて逆にさらに不安になった。あぶねーこの価値観に合わせてたら将来絶対苦労するかも、
何かしようと思った。
でも何からしたらいいかわからなかった。
またいろんな本を読んだ。


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