見出し画像

20代子供が3人いるパパのリアル


実家の前で趣味のサッカー

こんにちは。
僕は22歳で結婚し現在では3人の子供のパパをやっている28歳です。
職業は現在自営業をやって4年目になります。
今はほとんど仕事を仕組み化して家族との時間、友達との時間に全振りできるようになってきました。
まだまだ理想とする人生は追いかけている途中ですがその道筋を残そうと思ったのと、誰かしらの勇気や、きっかけになればと思って書こうと思いました。


東京大学時代

自己紹介をすると、、、
自営業の母親とサラリーマンの父親の間に生まれました。
僕と1個下の弟がいます。
特に他の人と変わった点もないですが、サッカーだけを熱中して小中高とやり続けてきました。チームもそこそこ強く県でも小中高と優勝レベルでキャプテンもしていました。弟は世代別の日本代表になったりしていて兄弟でそこそこ頑張ってお互いプロを目指してましたが、二人とも高校で燃え尽きて撃沈。(笑)

あとは他と変わった点としては、年商10億円以上の会社をおばあちゃんが経営していました。
創業はおばあちゃんのお父さん、だから僕のひいおじいちゃんが作ったらしい、、
当時僕が小さい頃は女社長で力強く、現場第一線でやってる印象でした。
現在は経営から退き、僕の母親の弟が次いで社長をやられてます。
ちなみにウチの母は家業を継がず別の事業をやってます。

そんな感じで僕も小さいながら、今思えばおばあちゃんに色んな経営者的思考や、仕事に対する取り組み方、お金への考え方を教えてもらってました。
ほんと感謝です。

だからサッカーに燃え尽きてどうしようと思った時になんとなく俺も社長になるもんだと思って、社長排出ナンバーワン大学(当時のパンフレットに書いてた)某マンモス大学に入学した。
入学した時点でわかったけど、入学式は武道館で田舎者からしたらそれもびびったが、何より同級生の数が多すぎてびびった。
ほんで思いました、こんだけいたら、そら社長は何人かは出るわ(笑)と。

最初からそんな感じで思ってしまったから学校の授業も面白く無くなって、でも田舎出身だから東京で遊べてる自分に酔いながら毎日ダラダラ過ごしてました。
(大学に行かせてもらっているのに、、スイマセン。。)

そんな大学2年の終わり頃、母親から電話が来た。
「あんたそろそろ就活だけどどう考えてるの?とりあえず参考になるかもだから、私の知ってる経営者紹介するわ。3日後に神戸にきなさい。」
って言われたので、夜行バスを予約して神戸に行った。

神戸のその経営者の家の前についたら、でかいマンションだった。
でかいと言っても、高いというより、横に広い感じ。
なんか当時言ってたのが大使館の人とかとにかくそっち系の外国人が多く住んでるようなところでウロウロしてたら、警備員みたいな人に怪しまれて、声をかけられた笑
そんなこともありながら、中に入って挨拶をするわけなんだけどとにかく想像とは全然違ってめちゃくちゃ爽やかなおっちゃんやった。
家の中には趣味のサーフボードや、スノーボードの板、そして全ての家具がめちゃくちゃオシャレだった。
うわ、すげーかっけえーって感じで見ながらお茶お出してくれた。

色んな話をした、この前までどこの海にいたとか、海外のゲレンデにいたとか、3つくらい気に入った土地に別荘があって、、、て話とか。
とにかく楽しそうだなーって感じ。

それから話は僕の話に。
「将来何がしたいの?」
当時はもう社長とか無理だと思っていたので半沢直樹もやってたしお金には困りたくないとは漠然と思ってたから、
「銀行員とかいいとおもってます。」
って言ったら、「それ仕事やん、仕事じゃなくてどんな生き方がしたいの?」
って聞かれて、会話が合わなくて一瞬フリーズみたいな感じになってしまった。
だって人生、仕事やと思ってたし、どう生きたいとか考えたこともなかったから。
だから聞き直した。「例えば、どんなことですか?」って。
そしたら俺はこの前オーストラリアのサーファーズパラダイスってところで友達とキャンピングカーを借りて波が良ければそこに滞在して、悪くなれば移動する、そして終わったら友達とビールを飲んで美味いものを食べる、それを好きなだけして帰ってきた。って言った。
僕は、普通にめっちゃいいなと思ったから、なるほど僕もそんなんがいいですっていった。
そしたらその人は、「じゃあそんな生き方ができる仕事を選ばなあかんな。」
「お前の友達で銀行で勤めてる人でそんな生き方をしてる人いる?」
って聞かれたから
「いないっす」
って言った。ほんでこう続けた。
「まず生き方決めてから、仕事決めな。マグロが欲しいのに、竿じゃなくて金魚掬いのやつ選んどるがな。でもほとんどの人はとるものを先にきめずに、道具から選ぶよな。」
って言った。
確かに、、、そして思い出した。中学校の時に行った2週間のニュージーランドの一人人家庭ホームステイ研修。(いい経験させてもらった。)
あの時の課題で、現地の子供に夢を聞くって課題があった。
よく一緒にサッカーをして遊んでくれた近所のベッカムヘアー(モヒカン)の男の子に聞いた。
「君の夢は?」(もちろん英語で)
そしたら早口で全部聞こえなかったけどとにかく、
デカい家、デカイ犬、可愛い奥さん、プール付き、スポーツカー、毎週パーティー
みたいなことを言ってた。そしてそれを叶えるために俺は映画スターになりたいって言ってた。
そん時に衝撃を受けたことを思い出した。
だって大概は、お花屋さんとか、お医者さんとか、大工さんとか職業をこたえるもんだと思ってたから。
あん時の話やん!っておもった。

だからまず、生き方を決めてそっからそれができそうな仕事を選ぶ。それがいいんあじゃないかと提案された。
だけどどういう生き方があるか知らないと思うからとにかく生き方のサンプルを増やせ。そして可能であればその人の仕事をきけ!って感じで言われた。
めっちゃ納得した。
因みにその人は海外製品を日本に卸す会社をやってた。
どれくらい稼いでいるかは聞いてないけど、まあお金持ちだ。

まあそんな感じで、カルチャーショックを受けた1日で、それが今の僕を作ってるきっかけの1日だった。

今後のことも挙げていきます。よろしくお願いします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?