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普通ではなかった沖縄との出会い

初めての沖縄

沖縄との出会いは数十年前、沖縄本島にホテルが新設されモニターキャンペーン旅行に参加したのが初めてである。
その旅行は沖縄出身の友人から新しいホテルができたから行ってみたいと誘われて参加したのだが、ただの観光旅行とはならなかった。

車が向かった先は

空港でレンタカーを借りてホテルにチェックイン後、初めての沖縄体験の私は行き先は友人にお任せである。どこのビーチに行くのか、アメリカンビレッジや首里城か国際通りか。。。と楽しみにしていた私だが、友人が車を運転して向かった先は、両側がジャングルのように木がうっそうと茂った道路であった。当然周りには何もない。金網に沿って走る道路、金網の横にうっそうと森がある道路。そこを通る時の説明が「ここは米軍が実弾演習する場所で、演習があるときには道路を通行止めにして住民は通行できないエリアなの。両側を実弾が飛び交って危険だから。」

観光では見られないもう一つの沖縄

友人から「ここを見せたかったのは、観光地でない本当の沖縄を知ってもらいたかったから」と言われたのだが、当時の私はあまり深い考えもなく、ただ「ふうーん」とうなずくだけであった。いま振り返って思えば私の反応は友人には物足りなかったのではないだろうか。沖縄のことにあまりにも無知であった私は彼女がその場所を見せた意味を理解することもなく、もしかすると期待されていた共感を示すことはできなかったように思う。
それでも数十年たった今でもその時のことを覚えているからには、その時の印象が強烈に私の中に残っているからだ。その後私は何十回と離島を含めた沖縄の島々を訪れることになるのだが、島で出会う人たちと話しをする中で時折でてくる現地の生活の様子を聞き、当時友人が語ったことの意味を考えるのであった。いまでもそのことを思い返し折に触れて考えるということは、友人は私の反応に失望したかもしれないが、観光地ではない沖縄を私に見せたことの意味は大きかったように思う。

自分ごととしての沖縄

最近沖縄を舞台にしたドキュメンタリー映画『骨を掘る男』を観たばかりである。その前は与那国を中心とした先島諸島でおきている自衛隊基地問題を追ったドキュメンタリー映画『戦雲』を観た。そうしたドキュメンタリー映画を観ると、彼女があの時私を連れて行った当時の記憶がよみがえり、あの時にはよく理解していなかった軍と共存するという事実について少しは自分ごととして捉えることができるようになった気がするのである。だからこそ、辺野古の座り込みを茶化しにいったインフルエンサーが発する言葉に傷つき、もっと傷ついているであろう沖縄の人々の気持ちを考えると胸が痛くなるのである。『骨を掘る男』では、沖縄戦で亡くなった方の遺骨収集をしている具志堅さんが辺野古埋め立ての土砂に遺骨収集の場所の土砂を使うのをやめてほしいと訴える。「たしきてぃくみそーれー。助けてください。」と助けを求める声を聞くとこちらもまた胸がつぶれそうになる。沖縄でおきていることは沖縄だけで起きていることではない。これは日本で起きていることであり、日本のどこに住んでいても自分ごととして考えたい。


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