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不毛な戦い「正義 v.s 正義」の打開策

こんにちは!コミュニティー型コーチングスクール「CAM Japan」のディレクター、もときです。

先日、自分たちが主催したあるイベントを通して大変なことに気づいたんです。

「どこかで、自分が正しいと思っている。人の話を、オープンな心で聞かず、自分の正義で人を測っている、、、」

僕が大切にしている価値観の1つは「矛盾のない生き方」です。コーチングスクールで、相手を裁かないことや、オープンな心で受け止めること、自分の正義を握るのではなく、相手の心に寄り添うあり方を教えていますが、気づいたら自分がそのようになっていたことに気づき、衝撃を受けました。

みなさんも、知らないうちに自分の持つ「正義」で、人を測ってしまうことはありませんか?

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僕自身、特別、コーチングが大好きっていうわけではなく、人の本質的な能力や可能性が取り戻されることで、その人にしかできないダイナミックな生き方を支援することをしたくて、その思いを発信するのに今のところしっくり来ているのがコーチングであるだけ。。。と心から思ってるし、語っているけど、コーチングを提供し、コーチングを教えていると、コーチングの世界や知識、文化のものさしで人の話をの聞いてしまっている。そのときに、オープンな心で他者から学ぶ姿勢を忘れていたことに気づきました。

そんな状態で人の話を聞いてくる時に自分の中から聞こえてくる声は、(この時点でレベル1の傾聴になっている)

あー、わかるわかる。
それ、俺も通ったわ。
そのうち、わかってくるよ。
その視点が、間違ってるんだよなぁ。
あ、自分の価値観が正しかったことが再確認できたわ。←自分はこれが一番多い。

など、人の言葉をまるで査定しているかのような思考です。
いやですねぇー。自分で見ていてと吐き気がする。わら
でも、こんなふうになってたんですよね。
この時点で、学びはストップしてしまっているし、相手に寄り添い受け止めるコーチングのあり方からは程遠くなっていました。

そんなふうに、ひとつのコミュニティや文化、環境にどっぷりハマっていると、その中で語られる「正義」が自分の価値観となり、そのものさしで相手を測ってしまい、心からの対話や、謙遜な姿勢で学ぶことができなくなります。

正しいと思う大切な価値観を持つことは良いことです!
でも、そのものさしで人を測ると、本質からズレていきます。

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そんな思考プロセスを、CAMスタッフとの対話の中でしていたら、ある問いが湧いてきました。

コミュニティが本当に自分たちが求めるあり方なの?

自分の正義のものさしで人を測っていたことのショックがでかすぎて、コミュニティ型コーチングスクールとして描いていた、互いに支え合って、励まし合って、成功を喜び合ってっていう絵が、なんか、居心地はいいけれど、自分たちの正義を確立し、社会に対して境界線を引くような、自己満足の世界だけになる気がしてきました。

でも、改めて一歩引いてその「絵」をみていると、そこには受容や安全性などファミリーのような大切な価値があり、それはCAMの求める大切なあり方の1つ。でも、最初の絵の違和感は、コミュニティのあり方が「同じ正義を持つ人たちが集まる居心地の良い場所」になっていて、その一致した正義自体が確立されてしまっていたことでした。(イメージの中で)

じゃあ、多様性を大切にしたコミュニティを築けばいいのかと思うと、それも違うかなぁと思います。多様性を強調する時、他者が持つ違う視点に対して「あの人はあの人、自分は自分」のように、相手を受け入れているかのようであるけれど、境界線を生み出してしまっていて、心は閉ざされたままです。

そのことを考えていたときに思ったことは、「正しさは光の下に置く」ことの大切さでした。

自分の正しいと思っている価値観を、他の人の価値観や視点(光)にさらし、アップデートの必要があるかを吟味すること。箱の中や殻の中、額縁にいれて飾ってしまうと、それが「正義」になってしまうけれど、光の下に置き続け、いつでもアップデート可能な状態にしておくこと。相手を否定したくなる心があるときに、心をオープンに光の下に置き、何が起きているのかを吟味すること。

そんなあり方が大切なんじゃないかなぁと思いました。

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そんなプロセスを歩み、CAMがコーチングという殻から出て、「人が輝く鍵となる」というビジョンでつながるすべての人たちと対話する場として、先月から「〇〇 ✕ コーチングの可能性」というイベントを開始しました。

CAMはコーチングをこのようにとらえています。

手法ではなく生き方
人の心に寄り添い、受け入れるあり方
人の本来のあり方と可能性を体現するための伴走者

そんなあり方が、様々な領域にあるときにどのようなことが起こるのか。
そんな対話を通して、コーチングという視点ではなく、人々の豊かさや生きることの価値に目を留め、CAM自体が学び続け、アップデートされ続けるコミュニティとして進んでいければと願っています。

正義 v.s 正義の不毛な戦いが起こるとき、

自分の正義で他者を測らず
正しさを光の下に置きアップデートし続け
正解を見出すことよりもオープンな心で対話し続けること

を大切にしてみることで少し変わるかもしれません。
という、現体験をもとにした主観的なnoteでした。

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