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~元ぎゃるお先生,現る~ 第5話

この記事を書いてるのは12月24日

ってことでメリークリスマス!

っても日本人ってホント便利な生き物。

12月はサンタさん,1月は仏様。神様も大変。

ブラックラグーンのエダが言ってた。

「神は留守だよ、休暇とってベガスに行ってる。」

これじゃあベガスに行く暇もないぜ。なあ,神さんよ。

今回はぎゃるお先生の受験時代の振り返り

では,本編へGO!GO!

4.司法試験予備校講師になるまで

■司法試験の受験を決めたきっかけ

 よく、法律事務所の面接で聞かれそうなお題ですが、正直、この手の話は得意ではありません。得意不得意というか、全然話を膨らますことができないのです。理由はシンプル、大したきっかけじゃないからです。

 私の場合、司法試験を目指したきっかけを一言で表すなら

『ギャル男弁護士』

 確か、高校生の頃、「行列のできできる法律相談所」というテレビ番組に橋下徹弁護士が出演されていました。茶髪の弁護士っているんだ~くらいの気持ちで見ていたのですが、そこからなんかひらめいちゃったんですね。「ギャル男弁護士」って今までにないんじゃね? ニューウェーブじゃね? きたんじゃね? 

 今から考えれば、そんな弁護士無理だろと思いつつ、高校生の私は『ギャル男弁護士』ってかっけえなあと思っていました。

 始まりは、本当に単純ゆえに純粋な動機でした。

 ① モテそう

 ② カッコいい

 ③ 稼げそう

 ただのそんな思いつきが私を突き動かしてしまいました。

 高校の友達によれば、私はことあるごとに「俺、ギャル男弁護士になるからよろしく」と吹聴していたようです。

 今思えば、少し恥ずかしいのですが、そんなことは当時の高校生はお構いなし。

 そして時は過ぎ、大学生へ。

 まだ同じこと言ってるんですね。「ギャル男弁護士」ってかっこよくない? みたいな。

 なんだろう、周りにずっと言ってたから、撤回するのはダサいと思ってたんですかね。

 結局、ずっと弁護士になるなる言っていたので、周りの友達に合わせて法律の予備校へ。あとはあれですかね、法学部法律学科に入った以上、法律系の仕事に就くか~というシンプルな思考。後のことを言えば、100万円といった高い予備校代を出してもらった親への感謝として司法試験に受からなきゃなという使命感も司法試験の受験を継続できた理由にはなりました。

 結局、

夢とか目標とかを抱くに至ったきっかけなんて些細なことで十分

なんだと思います。もちろん、シッカリとした理由といいますか、例えば両親の離婚であったり、何らかの事件・事故であったり、社会問題への関心であったりといったきっかけがある方は就活等でそのような話題になったときにリアリティーのある説得的な話ができるというメリットはあると思います。でも、それができないからといって不利になるわけではないですし、少なくとも僕はこれまでの人生で法曹を目指したきっかけがシンプル過ぎてそれ以上でもそれ以下でもなかった件について不利益を被ったことは一度もありませんでした。

 よく、夢を探すためにいろいろ考えてみようって話を聞くことがあります。考えるためにたくさん読書し、ネットで調べ、いろいろ知ってみる。

 確かに、そういう時間も大切だとは思いますが、案外、きっかけなんて日常のそこらへんに転がっているんだと思いますよ。きっかけが転がってるのに、それに自分が気付いていないだけかも。きっかけについて「ちゃんとしたきっかけじゃなきゃいけないのかな」といった誤った強迫観念に駆られているだけなのかもしれません。

 ともあれ、『ギャル男弁護士』って吹聴していた。

 これが、私が司法試験を目指したきっかけです。

■ ロースクール入学~予備試験・司法試験合格まで

 まず、タイトルの話に入る前に、簡単に現行司法試験の制度について、改めて紹介させてください。

 予備試験とは、法科大学院修了者と「同等の学識及びその応用能力並びに法律に関する実務の基礎的素養を有するかどうかを判定する」(司法試験法5条)ための試験です。正式名称は、「司法試験予備試験」ですが、略して「予備試験」と呼ばれています。予備試験は受験資格に制限を設けていませんので、どなたでも受けることができ、5月の短答(マーク式(短答式)試験)→7月の論文→10月の口述試験(面接)の3つの試験を全てクリアすれば司法試験の受験資格が得られるという仕組みになっています。予備試験の合格率(対実受験者)は、例年3~4%です。

 他方、法科大学院(ロースクール)に入れば、2年あるいは3年在学して卒業することで司法試験の受験資格を得ることができます。

 加えて、法曹コースといって、大学法学部を3年で早期卒業し、法科大学院既修者コース2年間の計5年間で司法試験の受験資格を手に入れるコースも用意されています。

 まとめますと、司法試験の受験資格を手に入れるためには、予備試験ルート、法科大学院ルート(法曹コースを除く)、法曹コースルートの3つが存在することになります。

 その上で、タイトルの話に戻ります。私は大学に入ってから伊藤塾に通い始めたわけですが、ロースクール入試を受験した年(予備試験の短答式試験を初めて受験した年と重なります)は、私は憲法の統治、民法の親族相続法、商法の総則・商行為、手形小切手法、刑事訴訟法の証拠法以降、行政法、実務科目といったかなり多くの科目についてまだ着手できていませんでした。この頃は確かギャル男をやめてから1年後くらいで、予備校に通い始めてから約2年は経っていたと思います。今考えると、2年も経っていたのに本当になんもやってなかったことがわかりますね。これは教え子に推奨できません(笑)。ロースクール入試については、慶應と早稲田ローは落ちたのですが、中央ローの出題のほとんどがラッキーなことに自分が勉強した範囲だったこともあり、合格することができました。他方、予備試験短答式試験は完敗でした。とにかく1回目の受験は記念受験でしたので、受かるとは思っていませんでしたし、仮に受かっても、確実に論文で落ちていました。

 そんなこんなで、ぎゃふんと言わされた1回目の予備試験短答式試験でありましたが、私はこの頃、現在はアガルートアカデミーで司法試験予備試験講師を務めている

谷山政司先生

(以下、谷山さん)が、前職時代に開催した予備試験ゼミの1期生として論文を勉強していました。いやあ、それはもう悲惨でした。先に述べたとおり、試験科目の大部分を勉強しないまま選抜試験を経て予備試験ゼミに入ったので(のちに谷山さんは「選抜試験のお前の答案に光る何かが見えた。だから選抜試験に合格した」とかいうなんか不思議なことを言っていましたね(笑))。ゼミでは、その日に問題が渡されてからテキストを見て、その場で出題された問題に関係しそうな論点のページを開いてその場で理解に努め、起案することの繰り返しだったのです。知らない科目をその場で解くのは体力的につらいうえ、谷山さんは全受験生の答案を印刷して全員に配布していたものですから、私の圧倒的にできていないというかトンチンカンな答案が全員の目にさらされましたし、いろんな意味で相当鍛えられたと思います。確か、全然勉強していなかった割に、谷山さんがいる教壇の一番前に座って授業を聴いていたり、やたら谷山さんにメールして「俺の弱点はどこですか! ? 同情とかいらないんで、教えてください! 」とか生意気なこと言ってました(笑)。

 とまあ、そんな感じで予備試験ゼミの一員だったので、当然谷山さんに

1回目の短答式試験に落ちた

ことを報告したんですね。そしたら、「インプットがないから落ちるのは当然なので来年までに穴をなくして必ず合格しよう。合格するにあたっては過去問の正答率を100%にするだけで十分だから、これからの1年は知識の穴埋めと短答の過去問演習を怠るなよ! 」といった趣旨の言葉を頂いたんですね。そこで、私は短答を極めるぞ! と思ったわけです。その時は。

 「その時は」からわかるように、私は短答式試験に落ちてから数日間は短答対策を猛烈な勢いで行いましたが、覚えることが嫌いな私はすぐに「短答はつまらん。飽きた。まあ、まだあと1年あるし大丈夫だろ」という安易な気持ちで論文をメインとした、いや、論文オンリーの勉強に切り替えてしまったんです。こういう経験ある方、いらっしゃいませんか? 今思えば、この楽観視が最も大きな敗因だったと思います。司法試験は3科目しか短答式試験は課されませんが、(私が受験した頃の)予備試験は7科目及び一般教養という司法試験の倍以上の科目について短答式試験が課されるので、ちょっとやそっとの期間、短答対策をしただけでは基本的には受からないです。ということで、

2回目の短答式試験も私は不合格

でした。正直、論文式試験対策はかなりやっていましたし、この時期にすでに予備試験の過去問分析はほぼ全て済まし、ロースクールの友人と司法試験の過去問でとっつきやすそうな問題も起案していたくらいだったので、論文に関してはけっこう自信がありました。「論文の勉強をこんだけやってんだから、短答は余裕っしょ」と思っていました。確かに、短答の点数は1年目に比べて上がりはしたんですけどね。あと10点ほどだったかな? 合格ラインには達していませんでした。正直、かなり凹みました。論文は通る気バリバリでしたし、友達や家族にまた落ちたことを伝えるのはかなり気が引けましたし、谷山さんにあれだけ「短答対策は抜かりなくな! 」と言われていたのにさぼった結果がこの始末。これはかなり堪えました。もちろん、今から考えれば「やってなかったお前が悪い。ただ、それだけ」なんですが、当時はかなり凹みました。「ああ、また1年後か」そんなことを考えながら、報告を済ませました。谷山さんから「やれって言ったのに。とりあえず、これ以上短答に関して言うことはないから自分で頑張ってください」といった趣旨の言葉が返ってきたときには、男の約束を裏切ってしまった。これは本当にやるしかねえって思いましたね。これ以上みんなを裏切ったら男が廃れるぞ、と。そのうえで、私は翌年の予備試験に向けて再スタートを切りましたが、この時はもはや背水の陣といいますか、ロースクールの成績や進退がどうなってもいい、予備試験にだけは絶対に受かるという気持ちになっていたので、ロースクールの授業と自分の勉強の両立は全然できなくなっていました。できなくなったというか、両立する気がなかったのかな。これについては、賛否両論あると思います。私は自分の主観でロースクールの授業のうち、試験に役立ちそうな授業は真剣に聴いて、そうじゃないものは一切予習もせずに内職するようなスタイルだったのですが、それが正しいとは毛頭思いません。ですが、「意地」が働いてしまっていたので、とても両立できているとは思えないような形でロースクールに通いつつ、自分の勉強をやっていました。なお、ロースクールは僕のクラスやほかの友達がとてもいい人ばかりだったので、とても楽しかったです。みんなでビアガーデンに言って飲んだり、屋形船で飲んだり、日本酒の会というのを作って宅飲みしたり(飲んでばっかだな(笑))、とってもいい思い出です。

 話を戻して、予備試験の短答式試験に2回失敗した私は、翌年の短答式試験対策はシッカリしようと思い、まずは自分の短答式試験の科目別の点数を把握し、誤った問題の種類もざっと見ることで、どの科目のどのような設問の点数が取れていないかを分析しました。その結果、私の中では単純に短答式試験を回す絶対量が全然足りていなかったという認識でしたので、絶対量を増やすことが現状を打破する最も有効な手段と考え、ひたすら数を増やすことに力を入れました。はっきり言って、超パワープレーです。短答式試験は知識をインプットできているかを問う試験ですから、一定量の知識は身に付いていなければなりません。そして、一定量の知識を身に付けるためには、それを身に付けるだけの絶対的な勉強量は必ず存在する。そして、当時の私は論文の対策ばかり行っていたため、短答式試験の対策に当てる絶対的な時間数が足りていなかった。このような自覚があったので、私は小手先のテクニックや用いていた教材を変えるといったことはすることなく、量を増やしました。方法論としては、毎日の反復継続を徹底する。当たり前と言われるかもしれませんが、これが自分にとっての対策のキモだったのです。とにかく知識量を増やすべく、解いた選択肢の横に、完璧に解けた問題には〇、正解したが理由があやふやな選択肢には△、間違えたものには✕をつけ、2周目3周目はひたすら△×を繰り返す。苦行の他の何でもありませんでしたが、これを毎日繰り返しました。いやあ、辛かったですね。でも、その時に気を紛らわせてくれた、いや、心の支えになったのが、アニメや音ゲーでした。そうそう、当時はラブライブというアニメの音ゲー(通称「スクールフェスティバル」)がマイブームだったので、短答の勉強を1~2時間やるたびに休憩してスクールフェスティバルの音ゲーを進めるみたいな生活をロースクール内でやってました。私は集中力が短期間しか持たないタイプなので、この方法が大ヒット。もちろん、短答対策のみならず論文対策も並行して行っていました。司法試験の論文は単なる作文とは異なり、一定の法的志向が要求されるので、シッカリとした対策が要求されます。そんなこんなを繰り返すことで、

翌年の平成26年予備試験には無事最終合格

を果たすことができました。この時は本当に嬉しくて、すごく高揚したことを覚えています。

 ただ、予備試験合格後の私の唯一の失敗があります。というのは、予備試験ルートだと司法試験合格率が異常に高い(予備試験合格者の司法試験合格率は平成30年司法試験で77.6%、令和元年司法試験で81.8%)のですが、当時も似たような数字でしたので、まあ、これなら司法試験に落ちることはないなという楽観が生じてしまったことですね。とりあえず年内はクールダウン程度に勉強を続けて、年明けから司法試験で新たに加わる選択科目の勉強をしつつ(令和4(2022)年からは予備試験にも選択科目が加わります)、基本科目に軽く触れればいいやという軽い気持ちで翌年の司法試験へ。一気に勉強量は減った結果、本試験会場で自分に対して驚愕でした。半年くらい勉強を疎かにするだけでこんなにも反応速度が遅くなるんだと。条文選択や論点抽出に対する反射神経が退化していたんですね。たとえば、受験生であれば息をするように思い出すであろう論点について、全然すぐに思い出せないんです。これは時間制限がある試験においては致命的でした。さらに、正直に言うと、本試験の最中に諦めてしまっていた弱い自分がそこにいました。何の科目だったかは覚えていませんが、起案をしている最中にどうせ今年は落ちるからちゃちゃっと書けばいいかなと思ってしまったのを覚えています。これって、絶対にやってはいけない愚行です。本当に合格したいと思っているのであれば、最後の1分1秒でも思考を巡らせて答案上に書き切るくらいの執念を見せるはずなのに、そこまでの執念が途中わかなくなってしまいました。闘志が燃え尽きたんですかね。今思うと、本当にダメな自分だったと思います。諦めたらそこで試合終了だよって、知っていたのに。山王戦が読みたいがために新宿の漫画喫茶にわざわざ泊まり込むほどに好きなスラムダンクで安西先生に教えてもらっていたのに。

 最後の日程が終わった瞬間、落ちたなと思いました。予備試験の時もそうでしたが、客観的に自分の立ち位置を判断することだけはこの時もできていたので、自分の書いた答案では司法試験は合格できないと悟りました。ただ、悟ってはいたんですが、親や友達にどうもその感覚は切り出しづらかったです。プライドがあったというのも切り出せなかった原因の一つでしょう。勉強を怠った奴のプライドなんて、屁でもねえと今なら思いますが。あと、裏切ってしまったという罪悪感が強かったですね。これが一番堪えていた気がします。親には金銭面のみならず精神面でもずっと支えてもらっていましたし、友人、恩師に対しても同じです。なのに、俺はいったい何をしてしまったんだって気分でした。結局、予想通り落ちました。わかってはいたし、完全に自分のせいなのですが、いざ落ちてみるとこれがまた心にぶっ刺さりました。まず、家族に対する申し訳ない気持ちがのしかかりました。同世代の友人はすでに社会人として自立して、自分の親に親孝行を始めている年齢なのに、また支えてもらう側に回ってしまったことへの後ろめたさでしょうか。本当に申し訳なかったです。次に友人に対しての後ろめたさですね。友人とは「合格発表日に一緒に飲もうや」ということで、渋谷で飲みの約束をしていたんです。合格発表は法務省のHPで16時に発表されますが、それを見ないで友人たちと飲んでる最中に「見ますか! 」みたいな話になっていたんですね。でも、ぶっちゃけ落ちてるよ、、、と思っていた私は、友人との約束を破って16時に結果を先に見ていたんです。んで、そのまま合流して報告する、と。後で聞いたのですが、私がみんなに打ち明ける前の集合時点から、友人は侑大の感じがいつもと違うことにすぐ気付いたから、ダメだったんだなって思っていたらしいです。それも含めて、ホント、駄目だなあって思いました。最後に、恩師・谷山さんに対しての後ろめたさ。目をかけてくれたのに、予備試験に合格するまでもいろいろと迷惑をかけてきたのに、

また不合格報告

。合わす顔がないと思いました。自分が情ないの一言ですね。誤っても何も解決にはならないことはわかっていたけど、謝るしかなかった。予備試験合格後、淡々と対策をしていればこんなことにはならなかったのに、何をしているんだと思いました。

 というわけで、一度司法試験を失敗した私は、ここでようやく、再度本気で翌年の司法試験を目指すことになります。最初に取り掛かったのは、もちろん自分の敗因分析。総論的な敗因分析としては、計画性なく特定科目に偏った学習をしていたこと、答案を書く数が著しく減ったことが大きな敗因だと考えました。そこで、まずは偏った学習を改善するべく、1週間の中で全ての科目に満遍なく触れるような学習計画を立てました。具体的には月曜は憲法、行政法と倒産法、火曜は民法と民事訴訟法、水曜は民法と商法、木曜は刑法、刑事訴訟法と倒産法、金曜は憲法、行政法、土曜は刑法と刑事訴訟法、日曜は予備日(もちろん、そうじゃない日もあるので、大体です)といった感じです。予備日はその週に消化できなかったもの等をやると決めていました。バッファを設けることなく計画を立てて進めても、必ずどこかで計画が狂う時が来るはずです。その時にバッファがあれば調整できますので、勉強だろうが何だろうが、何かしらの計画を立てるときはバッファを設けることはお勧めです。

 あとは、答案を書く数が減ったことに対する対策として、有志で組むゼミ(自主ゼミ)を再開しました。この自主ゼミなんですが、平成27年当時からかなりの実力を有していたものの、訳あって平成27年は残念だった友人がいたので、彼に一緒にゼミを組んでくれとお願いした結果、もう一人の友人を加えて始まったものでした。週1回、特定曜日に過去問の答案を書くゼミでした。基本的には午前に集まって時間を計って答案を作成する→昼飯→出題趣旨と採点実感(司法試験では、法務省がその試験で問いたかったことや採点した感想をHPで発表していて、それを出題趣旨と採点実感といいます)を確認→解説の読み込み→お互いの答案を添削→添削した答案を印刷、コメント部分について議論する→終了というもので、短くて半日、長くて1日という割とハードな自主ゼミでしたが、毎週2通(民事の際は3通)起案するので、起案の絶対量を増やすという敗因との関係ではかなり合理的なゼミだったと思います。また、ゼミの仲間二人がいい部分を持っていたので、それを吸収するという意味で、論文力向上に本当に役立ったと思っています。

 それ以外には、科目ごとに原因[U1] を追求し、対策を練るということを行いました。そして、あとは決めたことを淡々と司法試験本番まで繰り返しました。この時期の勉強については、特に大変だったとは思いませんでした。やることは決まったし、あとはやるだけ、みたいな。結果、

平成28年の司法試験に合格

することができました。

 このように、私は予備試験短答式試験における「失敗」と司法試験論文式試験における「失敗」を犯したわけですが、その都度その都度敗因を自分なりに分析して「成功」に結びつけることができました。「失敗」したときの気持ちは本当につらく、自己嫌悪にも似た感情が自分の中にわいてきて、中には受験をあきらめて公務員や一般就職を考えようとする方がいることも頷けます。

 でも、私が有言実行できたように、司法試験、予備試験は「失敗」したとしても敗因分析をシッカリして、自分に足りない能力を補う対策を練れば、誰だって「成功」に結びつけられるのだと思います。「失敗」は「成功」のエッセンスだと考えられるようになりました。

 

■予備試験の合格にこだわったワケ

 予備試験に受かれば、いわゆる大手の法律事務所が実施する特別のプログラム[U2] を受けられたりといった特典が付いてくるわけですが、私が、なぜそんな難しい試験の合格にこだわったのか。

 一言で言えば、それは「意地」でした。

 というのも、私は予備試験に受からなくても、普通に中央大学法科大学院を卒業して、普通に司法試験を受けるというルートでもよかったわけです。

 実務で経験を早く積みたいと思っていたわけではありません。

 でも、「意地」が私を予備試験の合格にこだわらせたのです。

 その

「意地」を語る上で欠かせないのが恩師の存在

です。その恩師は前にも出てきた谷山さんなのです。谷山さんって結局誰やねんという状態だと思いますので、軽く紹介しますと、彼は、司法試験予備校で長年働かれている方で、私とちょうど10個離れているベテランの先生です。今はアガルートアカデミーで一緒に司法試験講師として現場の最前線で働いています。

 私が彼と出会ったのは、前にも述べたとおり、彼が前職時代に開催していた予備試験ゼミに私が入った時でした。

 今でも覚えています。当時はすでにギャル男はやめていたのですが、その名残が今の数倍色濃く残っていたので、肌は真っ黒、イキってる感強め。

 1回目のゼミでは他の受講生及び谷山さんになめられたら負けだなと思い、話しかけづらそうなオーラをまといながら最前列中央の席に座って谷山さんをガン見していました(この場でお詫びします)。谷山ゼミはこれまでに何十名もの合格者を輩出しているガチのゼミ。そんな中現れたなめた若造相手に、彼は親身になって勉強の相談にのってくれ、合格までの道筋を示してくれました。

 ゼミの時は超真面目にガチで勉強し、終わった後の飲み会ではバカみたいにふざけて、たまにプライベートでも楽しく飲む。

 そんな世話を焼いてくれる先生、なかなかいません。

 いや、俺は今までの人生の中でこのおっさん以外にこんなに全部『ガチ』な人を見たことがありません。

 なんだか、この先生に予備試験受かります! って言っちゃった以上、男の約束だし、絶対に受かんないといけないな。結果出して恩返ししたい。って思ったんですね。

 だから、頑張りました。

 でも、頑張りはしましたが、私は彼に師事してから司法試験予備試験の短答式試験に2度落ちています。前にも書きましたが、一度目は全然勉強が追いついていない中での受験だったので、記念受験みたいなもの。でも、2度目の試験に関しては1度目の試験が終わった後に、谷山さんにアドバイスをいただいたにもかかわらず、私は途中から短答式試験対策を放棄し、論文式試験対策ばかりやるようになりました。論文式試験対策をこんなにやってるんだから短答式試験も今回はいけるっしょという安易な目論見。結局、2回目の試験も惨敗しました。

 この時、要は恩師の言いつけを守らなかったわけですから、裏切ってしまった以上、恩師に報告することが非常に億劫だった。でも、だからこそ頑張り続けられました。絶対に結果を出さなければならないという気持ちがさらに強まったんですね。

 それはもう「意地」の世界。

 男たるもの、結果出してやるほかない。ただの、個人的な「意地」。でも、当時の僕が頑張るには十分な理由でした。結果的には翌年平成26年の司法試験予備試験に最終合格できた。

 何かを頑張り続ける理由なんて、ちっさい、個人的なもので十分なんだと思うんです。

 そんな先生との約束を守るという「意地」

 それが、僕が予備試験という難関試験に挑み続けた大きなワケなのでした。

 

■受験生活の苦悩

 これは専ら勉強の話になってしまうのですが、受験生当時、当然私にも苦悩はありました。それは何か。いわずもがな、「暗記」です。司法試験というと、皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか。私がよく質問を受けるのは、「司法試験に合格するためには六法全書を全て覚えないといけないんですか」という質問です。

 これについての答えは「No」なのですが、とはいっても、重要な条文については覚えなければなりませんし、様々な法律用語の定義や解釈を覚えなければならないのは本当です。そして、これが全く頭に入らない。

 一度解説を見たり聞いたりしたときはわかりはするんです。なるほどね、そういう意味か! みたいな納得はたくさんあるんです。なのに、なぜか、昨日やったことを覚えていない。あれ、これってなんだっけ。調べてみると、昨日解いた問題の答え。

 これ、けっこう萎えるんです。なんで昨日のやつ忘れるかなあ……って考えても理由はわからないし、理由がわかっても覚えられないものは覚えられない。「俺って、脳みその細胞が他の人よりも少ないんだろうなあ」って何度考えたことか。

 法律の条文、似たようなやつ多すぎだろ~短答式試験で細かいこと聞きすぎだろ~商法総則と手形法とかなんあん[U3] ~みたいな愚痴の嵐。

 ここだけの話、あまりにも短答式試験の暗記ができなかったので、司法試験最終日の短答式試験の前夜は一夜漬けしたくらいですからね(笑)。朝まで延々と短答をやって、レッドブルを飲んで会場に向かったことを覚えています。まあ、一夜漬けだったせいで会場でむっちゃ眠くなって最悪だったんですけどね。

 この

「覚えられない」という悩み

は司法試験受験生に関わらず、中学高校大学受験等、全ての受験生に当てはまる悩みだと思います。

 結局、「人の名前は一回あっただけじゃ覚えられないし、顔と名前が一致しない。でも、何度も会ってたら自然と覚えるようになる。多分、これと同じ。だから何度も思い出す」と悟って以降は覚えられないことがあまり悩みではなくなったのですが、それでも受験生時代に一番悩んだものは何かと問われれば、私は「覚えられないこと」と答え続けるでしょう。

 

■なぜ、受験生活を頑張れたのか

 これはひとえに家族、友達、恩師の存在ですね。

 まず、家族。そもそも、司法試験の受験生活は基本的に長くなるものなんですね。

 大学2年生から勉強して大学卒業後に法科大学院に入り、卒業後に司法試験を受けるとしても大学2年次から起算すれば約4年。場合によってはもっと時間がかかる方も多くいます。私は法科大学院に入らなくてもそれ自体に合格すれば司法試験受験お切符を手に入れることができる予備試験自体には合格しましたが、法科大学院に入学して最終学年で合格している身ですので、決して早く合格できたわけではありません。

 その間、ずっと、家族には経済的にも精神的にも支えてもらいました。メンタル面に関しては、私はセルフマネジメントができるほうなので、不安や辛いというマイナスの気持ちを軽くしてもらったというのではなく、家族と仲良く楽しい時間を変わらず作れたという意味で支えてもらったのだと思います。他方、私が一番自分の中で気にしていたのは前者のほうでした。

 予備校の入塾金はゼロ二桁、大学4年間で援助してもらったお金は計り知れず、法科大学院の入学費用、そのほか書籍代等々。いずれもお金がなかったので、私は家族から経済的な援助をしてもらっていたのですが、感謝の半面、それが本当に嫌だった。なんていうんでしょうか、地元の友達は働き始めて親に仕送りを送ったり、親を経済的に支えていってるにもかかわらず、俺はまだ家族のすねをかじっているという気持ちがとても強かったんです。合格して働けばあっという間に返せるんだから気にしなくていいといった声も聞いたりはしましたが、それでも私は嫌だった。

 でも、それがかなり大きな原動力になりました。「絶対に負けられない戦いがここにはある」とはまさにこのこと。絶対に合格して職について親に金を返す。多分、うちの親は「金なんていい。受かって幸せになってくれたらそれでいい」なんて言いそうだなあとか思ってましたが、それでも関係ありませんでした。

 なんだろう、結局、親のためというより自分のためなのかな。自分が納得いかないことはそのままにしたくないタイプなので、自分で金を返すと決めた以上、それをやり遂げようとしていただけなのかもしれません。

 他方、友達の存在も大きかったです。これは他の所でも書いてますが、私は高校生のころから「俺、ギャル男弁護士になるわ」と吹聴していましたので、仲がいい友達はみな、私が司法試験を受験することを知っていました。

 もう、これって、頑張り続けるには十分すぎる理由だと思いませんか。

 ただ単純に、これだけ周りに言ってたのに落っこちて終わる、受験生活を途中でやめるなんて、ただただ私にとっては「ダサい」ことだと思ったのです。そうではなく、みんなの期待に応えたい。そんな思いが苦悩の多い受験生活を乗り切る原動力となりました。

 さらに、恩師の存在。繰り返しになりますが、私は受験生活の最中に谷山さんという存在に出会います。彼とは現在はアガルートアカデミーという同じ職場で働く同僚でもあり、プライベートの飲み仲間でもあり、いつまでも変わらない恩師であるという関係です。そんな彼と出会ったときは先生と生徒という関係。そして、私は彼と約束をしてしまったのです。絶対に予備試験に受かり、司法試験に受かると。男の約束。これは何があっても守らなければなりません。正直、司法試験に関してはこの約束がなくとも合格を目指していたとは思いますが、予備試験に関しては、短答式試験に2回落ち、最後に受験した年は法科大学院最終学年なので別に合格してもしなくても翌年には司法試験を受けることができた以上、この約束がなければ合格にこだわらなかったと思います。

 それだけ、男の約束は絶対だった。まあ、多分谷山さんはそこまで私が考えていたなんて思いもしなかったでしょうが、そんなの関係ありません。とにかく、約束を守るために突き進む。これが大きな原動力となったのです。

 家族、友達、恩師。

 ありがとう。

■プライベートを犠牲にしなかった受験生活

 司法試験受験生というと、四六時中机に向かって勉強し、友達の誘いをはじめ数々の甘い誘惑をはねのけ、青春を犠牲にしてでも勉強する……さすがにこれは言い過ぎかもしれませんが、勉強をたくさんしなければならないがゆえに、プライベートを犠牲にしているとお思いの方がいらっしゃるのではないでしょうか。

 実際、飲み会や遊びを相当制限し、ストイックに勉強している受験生は数多くいます。でも、私はそうではありませんでした。この話を読んで、もしかしたらうざいと思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、そういうスタイルもあるんだなと思っていただると幸いです。

 私の場合、集中力が長くはもたなかったので、基本的には可処分時間がいくら長くても一日の中で本当に集中して勉強できる時間はせいぜい5~6時間程度でした。それも連続ではきつい。勉強すること自体が好きではありませんでしたので、集中していない時間にダラダラ勉強するのも単純に嫌でしたし、ダラダラ勉強してもはっきり言って時間の無駄だと思ってる。

 だからこそ、私は夜に飲み会や遊びの予定をあえて入れることで、追い込みながら、かつ、プライベートを犠牲にしないようにして勉強するというスタイルをとっていました。この方法が合うかどうかは人によると思うのですが、私には効果てきめんでした。というのも、遊びの予定の時間になったらそれ以降は勉強できないじゃないですか。そのリミットが逆に「それまでに終わらせないとまずい……」という気持ちを生じさせ、「タイムリミットまでにどのように勉強すれば今日のタスクを全て終わらせることができるか」という考えを先鋭化させたんです。飲みがない日はアニメが見たくなるわけです。なので、あらかじめ何のアニメをまとめて見ようっていうリストを決めておくんですね(休憩時間にアニメのワンシーンを見るという方法も取り入れてましたが)。そして、そのアニメをちゃんと見るためにリミットまでに勉強を頑張るのです。

 私的には、この方法はむっちゃ合理的かつハッピーな方法だと思うんですよね。遊べるし、趣味のアニメを楽しめるし、集中して勉強できる。もちろん、時間のない社会人の方はマネできるような方法ではありません。時間のあった学生だからこそ取れた方法ですが、勉強方法何て自分に一番合った方法を見つけて実行できれば何でもいいので、私にとっては最適な方法だったのです。

 結果、プライベートを犠牲にすることはありませんでした。自分に合った方法論を見つけれたのが、プライベートとの両立を実現するキーだったのだと思います。

■司法試験に合格したときの気持ち

 司法試験の合格発表は毎年決まって夕方の16時に法務省の掲示板がオープンになり、同時に法務省のHPに合格者の受験番号が掲載されます。ネットの場合、回線が混雑して繋がりにくいので、大抵の人は16時10分くらいにならないと自分が合格しているのか否かを確認できないというのも受験生あるある。

 法務省の掲示板の前に大勢の受験生とその友達、家族が掲示板を待つ姿、掲示板の前で歓喜のあまり号泣する姿、その逆に悔しさに涙を流している姿等が思い浮かぶのではないでしょうか。

 そんな合格発表ではありますが、私の合格発表日の瞬間はといいますと、地元のパチンコ屋でパチンコを打っていました。というのも、私は掲示板に行く意味はないと考えていたのと(もちろん、行くことを否定する趣旨ではありません)、ちょうどその頃『魔法少女リリカルなのは』の新台が出ていたので、どうせ発表当日は暇だから打ちに行くかあと思っていたのです。

 あとはあれですね。受かっている確信があったからかもしれません。私の場合、予備試験に受かった年も、司法試験に受かった年も、受かるという確信が最終日の科目を終えた後にあったんですね。もちろん、司法試験に落ちた年はダメだったなという感覚もありました。

 なので、暇だったのでパチンコ屋にいたわけですが、これがほんとすごいんですよ。作り話ではなくて、ガチ話なのですが、ちょうど合格発表がある16時に差し掛かる10分前くらいから当たって連チャンが止まらない。

 右手でパチンコのハンドルを握りつつ、左手で法務省のHPを何度も見ようとしつつ混みあっててなかなか合格発表の受験番号を確認することができずにいる。やっとのことで開けたHP。予想通り自分の番号があった。でも、確変は続いているし、その店はドル箱交換のお店。

 なんだかんだで、恩師・谷山さんと連絡を取った際、まだ連チャンが続いていたのを今でも覚えています。

 無事合格。

 私の場合、うれしいかったのはもちろんうれしかったのですが、どちらかというと周りに対する安心。それが大きかったです。

 まず谷山さんに合格を報告しました。合格報告ができたことは、すごいうれしかったです。というのも、私の場合、谷山さんへの意地で司法試験を頑張れたのです。男の約束を果たせた。男の約束ですからね。恩師にその約束を果たしたことを報告できたのは、自分の中での大きな喜びでした。まあ、パチンコ屋にいたのでカイジが沼を攻略したような雄たけびは上げず、自分の胸の内に秘めておきましたが。

 また、家族、親族、友達に対して、本当に長い間ありがとうございましたという気持ちが非常に強かったのを覚えています。

 司法試験って、誰もが受かる試験ではありません。講師をやっている私が言うのもなんですけど、自分が親の立場だった場合、

私は私の親がすんなり「頑張って」って言ってくれたように自分の子どもに司法試験お受験をサラッと勧められる自信がありません。

下手したらずっと受験生活を送る可能性もあるわけです。それでも応援し続けてくれた家族、親族を安心させられたのかなと思うと、ほっとしますし、ありがとうの一言しか出てきませんでした。

 とにかく、司法試験の合格は周りで支えてくれた人に対する感謝の気持ちが先行し過ぎて、自分が嬉しいという感情より周りにありがとう、周りの方々を安心させられた、ホッっていう感情が大きすぎました。

 いやあ、祝い酒を飲みまくりましたね。永遠に二日酔い。二度とこんなに飲みたくないと思う事すら心地よい。

本当に、司法試験の合格を経験できてよかったです。

今回はここまで。

良いお年を!


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