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人間は正しさよりも気持ちの生き物

私は嫌なことをされたら3年くらいは余裕で根に持つ執着気質、忘れるまでの3年の間にどんどん根に持つことは増えるので許せない気持ちでコップがいっぱいになり毎日が苦しくなってきていた。

この苦しみから解放されたく、頭をこねて考えた結果、自分の中のある前提に気づいた。

人は善人であるべき

困っている人間がいたら助けるべき

保身の気持ちでいっぱいのやつはクソ

いざというとき見て見ぬふりするやつはクソ

きちんと努力して知識を持ってる人の方が偉い

なんかこんなような前提があるので、あの時助けてくれなかった!とか、トンズラこきやがって!とか、仕事全部こっちに投げやがって!とか、なんかどんどん、ここが間違ってる!て思うことが増えてストレスがたまっていたわけだ。

でもそもそもが生きるって、人間って、正しさだけで構成されてない。ピンチのときにトンズラこきやがった先輩も、神がかった言い回しで芸術的に責任転嫁してきた先輩も、みんなそうしたくなる理由があったのだ、と考えれば自分があり得ない世界に生きてる理不尽な気分からは脱することが出来る。本当は世界はこうあるべきなのに、自分がいる環境がそうじゃないという苦しみは結構しんどいものだけど、いや世界ってそもそも理不尽だから。別に珍しいことじゃねえや。アリエルアリエル。という納得感があれば苦しみは軽減される。

人間はそもそも、正しくないことだってしたくなる生き物であって、そこにはその人の気持ちがある。自分の評価が下がるかもしれないから厄介事に関わりたくない気持ちであったり、なんかそういうのがあったんだろう。

人間を理解してこちら側の対応をうまくやることで揉め事を回避すべきなのだ。世界に正しさを期待して動くのは危険過ぎる。

だから、自分が思う正しさというのは自分のありたい姿の目標としてのみ利用すればいいのだ。

ということに気づいた夜。


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