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その男タケテル

🌈誰かの記憶の誰かのはなし 15

2005年の夏に始めた、ポップとバザーのKONISHIKIのハワイアンアルバムCD「LOCO STYLE」の日本縦断走り売りは、北海道、東北、関東、東海、関西、中国地方を走り抜け2006年になり、九州に辿り着く。

今しか出来ないと、続けてきた旅に「終わり」が見えてきていた。

九州に入ると、関西ウクレレクラブからのバトンで「九州ウクレレ族」へ繋がる。

そこで出会ったウクレレ族の須崎さんは、ツアーと呼べるくらいにポップとバザーのスケジュールを組んでいてくれた。



関西でライブをいっぱいした。

その噂はこう足される。

「関西で大成功した2人」

人の噂は、時を経て走って九州に向かう間も大きくなっていくものだ。信じられないがそうなのだ。



九州に着いた彼らに須崎さんは、移動手段スケジュール、宿泊場所など考えられる細かい事を考えさせないように、九州を楽しんでもらおうとほんとによくしてくれた。

僕は、信じられない思いでそれを東京で聞いていた。僕達は、何者でもないのだ。

用意されている会場は、どこもオシャレなお店だったり、純粋に音楽を楽しむ人達で集まるようなお店ばっかりだった。なにせ、大成功した2人だから。そこで演奏するしかない2人。




中でも、生演奏バーでカウンターで呑んでいた人がフラッとステージに立ち、サックスをフラッと一曲吹いてまた呑む。

そういうのに、ポップは目を奪われたらしい。

そして、そういう人に限って、よく話を聞いてくれて面倒見てくれる。自分をひけらかさないで、寄り添ってくれる。あとで医者だと知る。

この旅でどれだけ優しい人に出会ったか。
僕も含め2人もかなり涙脆くなっていた。

九州での出会いに君臨する人がいる。

熊本県八代市のスーパースタータケさんだ。



ミュージシャンであり、イベントプロデューサーであり、何より九州男児のお祭り漢だ。

旅の最後に出会ったこの人は、現在の僕達の中でも人生最大に面白い人だ。

圧倒的なハイテンションで周囲を巻き込んでいく。僕の出会いの人生で「タケ前」と「タケ後」でその後に出会う人との接し方を変えたくらいだ。

タケさんに関しては、旅後の方が多く語れるのでそれはまた、順を追おう。とにかくタケさんからだ。僕は一切編集してない。

もと二へ

もと二と出逢ったのは、熊本県八代市を拠点にイベントの企画制作を手掛けながらハワイアンショップを営みウクレレ弾きとして九州で活動していた頃。

知人より「ウクレレを片手に日本縦断をしている青年が2人いるから八代市で会ってもらえませんか?」との連絡から始まります。当時の私はアロハ スピリッツをこじらせており「Yes」以外の返事を持ち合わせていませんでした。また、せっかくの出逢いですので仕事を休んで全力で遊ぶ決意をしました。

実際に2人に会ってみると「明るく、ノリだけで生きていけそうな破天荒な青年」というイメージでした。

とりあえず同じ釜の飯食って、風呂に入って枕を共にすれば人となりを知る近道だと思い、自己紹介もほどほどに一緒に飯食って酒飲んで、温泉に入って、夜は繁華街に繰り出すことに。二日目以降は初日に確立したこの八代ルーティーンに加え、KONISHIKIさんやTAUPOUさんのCDを販売したり、ウクレレの練習を少々取り入れ一日中遊び倒しました。夕方に姿をくらまし朝帰りしたバザーの話はまた次回。

2人と触れ合ううちに「明るくノリだけで生きていけそうな破天荒な青年」から「破天荒風の教科書タイプ。チャラそうだけど真面目で律儀な好青年」へとイメージが変化していきました。

一日中、一緒にいることで真っ直ぐな二人を知ることが出来、友情すら芽生え始めたころ、二人が旅立つ日を迎えます。


 数日間の滞在を経てKONISHIKIさんやTAUPOUさんのCDの販売もひと段落し二人は日本縦断の目的地、沖縄へ向かい旅立っていきました。それも飛び切り後ろ髪をひかれる一言を残して。

 「伊勢原のオアシスで会いましょう!」

なんのはなしですか

その後、二人は沖縄の地にて旅を終えますがその話はまたの機会に。

 何故こんなことになったのか考えてみた。プロデューサーって誰?それがTAWA。←(※コニシ木の子のこと)

この出逢いの数年後にイベンターとして小錦さんとお仕事をする機会がありました。KONISHIKIさんと楽屋で話していると突然

タケ!ウクレレ弾けたよね?ベースもできる?今日、ベースがほしいから舞台に上がってよ。

との要請が。その日から現在に至るまでKONISHIKIさんの後ろに立たせてもらいベースやウクレレを弾かせてもらうことに。

この企画がキッカケとなり大きな舞台を踏み、多くのアーティストと共に舞台に立たせてもらい、ウクレレブランドKoALOHAのサポーテッドアーティストとしても活動することに。田舎に暮しこの活動が出来るのは、この企画があってこそ。もと二、Tawa-P、←(※コニシ木の子のこと)KONISHIKI夫妻、そしてTEAM KPにBIG MAHALOです。

このストーリーは後に関係者により

「タケ上がり」として語られる名シーンへと昇華しました。


以上である。

アホ過ぎる。だが、最後にこの人に出会えた我々は、幸運だ。



さて、これは旅の表面。2人はゴール沖縄へ。

どうやってゴールする?それは、旅の裏面を待て。




自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。