暮夜に野暮と言われた気になった公園にて。
久しぶりに公園の前を何も意図せずに通った。決して大きくはない公園だが、人を寄せ付ける何かがあるような公園だ。いつもは小さな子ども達や、井戸端会議のキレイなお母さま方で賑わっている公園なので、当然その時間を私はよく意図して通っている。
その日のその時間は、夕暮れ時を黄昏時と言い換えたくなるような誰もいない公園だった。
私は、誰もいない公園に一人で寄りたくなった。寄ってみたくなった。進める足は思いのほか軽く感じた。たまには冴えない私を主役にしてみても悪くないだろうと感じてくれたのか、誰もいないその黄昏時は、その寂しさを倍増させる演出のために、あえて寂しそうな私を主役として呼んでくれているようにすら思えた。
四角い公園には二つだけベンチがあり、街灯の下にあるベンチと街灯から少し離れたベンチが存在した。
二つのベンチの距離を知りたくなる。この日の身長が172センチの私が横に寝転んでみても、それよりは近そうだったので、この日の172センチよりは短いのだなと感じていたのだが、それを詳細に知っても、私だってこの日だけの172センチなので、その尊さや儚さを誰かに伝える術を知らないので考えることをやめた。
私は何となく街灯の下のベンチに座った。ベンチに座る時はなるべく端に座る。これはもしかしたら女性が突然に現れて、空いている隣のベンチに視線を送りながらも「あなたの隣に座っても良いかしら。あなたは、私の隣にふさわしいだけのものを持っていると思うの」と言われるかも知れない準備のためだ。
私の中の女性は突然現れることをいっさい躊躇わない。だから出来るだけスマートに隣に座らせてあげたい。
街灯の下のベンチに座って隣のベンチを見ていた。直接街灯に照らされないその明るさは、穏やかでロマンチックな空間を演出するのだろうなと感じていた。いったい何人の男女を夜の主役にしてあげてきたのだろうか。夜を暮夜と言い換えたくなるようなベンチに、しっかりと腰を据えて「今まで何人の恋をそこから支えましたか」とインタビューしたくなっていたが、暮夜に野暮と言われそうでやめた。
私の視界には滑り台が見えていた。
四十歳を超えて、一人しかいない公園のベンチに座り、黄昏時の主役を満喫している私は、四十超えの滑り台を満喫しても何もおかしくはないと感じていた。普段からスベっている私が本当に滑ったらどれだけ面白いだろうかと思っていながらも一人逡巡していた。
なん奈良、一人で滑ったあとの自分に「スベるを体現した第一人者として、今どういうお気持ちですか」とインタビューすらしたくなっていた。きっと面白い自分に出会えると思っていた。
滑り台の階段を両脇にある手摺を掴みながら、一段一段そっと進んでいた。階段と階段の幅が狭いと感じていた。やはり、滑り台は子ども向けなのだろう。これは駆け足で上れるものではないと感じていた。この上りにくさこそが大人になった証明かも知れないなと少しだけ誇った。
小さい頃の私が手摺を掴んで階段を上るとき、ちょうど力が伝わりやすい位置に足がきて、トントントンと軽やかに上れていた記憶が降ってきた。
「危ないから走らないの。ちゃんと前みて滑らないとダメよ」
と後ろの少し大人びた女の子に怒られた記憶も甦っていた。鮮明に思い出した大人びた女の子の姿に、滑り台の出来事はもしかしたら恋だったのかも知れないと気付けた今の自分は何も悪くはないと言えた。
私は無意識にもう一度だけ、その言葉を誰かにかけられたいと思い、窮屈になりながらも一生懸命に駆け足で上ってみていた。
トントントンは聞こえなかったが、最後の一段まで四十二歳で魅せられる最高のステップで上った。華麗に魅せるには絶対に踏み外すワケにはいかないので、万が一踏み外しても良いように手摺を掴む握力は最大出力だった。幸い、竹刀と同じような太さの手摺は、普段素振りをしている私にしたら、鉄の手摺でさえ本気を出せば握り潰せるのではと思うくらい力を発揮出来た。
つまり、踏み外しても耐えられる。おそらく踏み外した姿勢のまま静止出来ることを意味していた。
この安心感は私の力を最大限発揮出来ることに繋がった。軽やかさを出しながら、最大限の注意が必要となっている年齢に、絶対に失敗は出来ないと全神経を足元に集中させていた。
最後の一段を駆け上がり、爽快に顔をあげたら頭にバーが当たった。下を見て上を見ない生活は、何も良いことがないと知った。最大限で駆け上がった力は、最大限の衝撃をプレゼントしてくれた。予期せぬ一撃は、その痛さを認識していても感覚は遅れてやってくる。この日の鉄は、今までの人生の、どの鉄よりも固いと頭が言っている気がして、私の目には涙が浮かんでいた。この年齢で対面する本当の恥ずかしさとは、声をあげることも出来ずに、ただ噛み締めることだと知った。
あまりにもジンジンと続く痛さに一人で公園の滑り台の上で、たんこぶが出来ていないか確認して、泣きそうになっている自分に心底あきれていたのだが、私を喜劇の主役にしてくれている公園には同時に感謝も感じていた。これは一人にはもったいない舞台だ。
今、世の中で一番面白いのに誰も見ていない。それこそが私だと思っていた。
せめて、喜劇の悲劇な主役らしく華麗に滑って終わりにしようと足を滑り台へと踏み出した。右足から滑らせ、左足をしゃがむようにして前に出して両手の力を入れてカラダを押し出し、しっかりとキョンシーの両手をした。
お尻が挟まった。
状況を飲み込むのに、おそらくは何秒しか経過していないと思うのだが、キョンシーしたままで滑り出す準備はしていた。あとは動くだけなのに動かない。角度や体制はどの滑り台の滑り方という動画や説明書を見ても採用されそうなくらいピシッとしている。
頭は滑っている感覚で構えていたのに、予期せぬ滑らないが急に襲ってきてビックリしている脳は、私に何の感情を与えたらいいかまるで分からないようだった。
「えっ」
自分でも信じられないほどの「えっ」が出て、さらにビックリした。まったく滑らない滑り台にお尻がハマって一人公園で黄昏れている42歳を全力で全うしていた。
頭と挟まったお尻が痛い中、両手でおもいっきり滑り台の両端を掴み、自分を引っ張って滑らせて、私史上一番遅い滑り台の記録を打ち立てた。
「危ないから走らないの。ちゃんと前みて滑らないとダメよ」
「前を見ても滑らないよ」と言い返したら、あの日の大人びた女の子がサヨナラしていくのが見えた。
私は、滑り台でスベらないを体現した主役だと思うことにした。滑り台の前に仁王立ちをして、滑り台の幅と自分のお尻の幅を何度も確認した。私の目測だと、やはり狭そうだがしっかり入るように感じた。
もしかしたら、私が見ている世界は本当の世界ではないのではと不安になった。私は振り返り、今度はブランコに足を向けた。ブランコは、私に座って欲しいと言っている。
私の目測と体感、今までの人生経験ならば座れると思った。ただ、たった今、自分の感覚の間違いをこの世界から突き付けられたので少しばかり慎重になった。
私は、滑り台の幅を手で確認しお尻に当てた。やはり収まる。気持ち小さめで計測してみたが収まる。やはり挟まったのは間違いだったかと思い直すことに成功した。
私はブランコの前に行き、同じように幅を手で計測し、お尻に当ててみた。収まる。ならば座る以外の方法を思い浮かべることは、私には出来なかった。
再びお尻が挟まった。
挟まったことは、知っていた。両足太ももに鎖がめり込んでいて、痛かったからだ。
駄菓子菓子、頭は反発していた。あれだけ確認しただろ。お前は自分の手でたった今確認したことを、少しばかり太ももに鎖がめり込んでいるだけで疑うのかと問いかけられていた。
私は、自分を疑うようなことだけはしたくないと自分を信じることにした。痛さなんて吹き飛ばしてブランコを漕いだ。ブランコは、子ども向けに作ってあり、足を曲げてしまうと地面に引っ掛かるので私は、めり込んだままでV字バランスを取った。
そのブランコは、私史上一番美しい半円を描いた。ブランコから降りる時に、挟まっていることを私に気付かせないようにスマートに前に来るタイミングの勢いを借りて台座から離れた。
痛くないと思えば痛くなかった。
自分で自分を疑わなければ、世界は自分で変えられると思った。
私は地面にしゃがみ、落ちている枝を掴み、私の舞台を製作してくれた公園に「ありがとう」と地面に書いてから
「なんのはなしですか」と囁いた。
公園を出て、振り返らずに
頭とお尻の痛みを忘れることにした。