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このまま残ろうと選択したのは間違いではない。~熊本ドッキリ旅行記2~

前回までのドッキリ↓

およそ6年振りの熊本空港は国内線・国際線が一体となった新旅客ターミナルビルとなっていてその装いが一変していた。これは、2016年の熊本地震で被災し、2021年1月から建て替え工事が進められていたからだ。

うっすらと私の記憶に残る昔の空港は、到着したらすぐに到着ロビーに出られたような気がする。現在は、機内から到着ロビーまでかなりの距離を歩くようになっていた。

椅子付き歩行器で、私の前を歩いている大関に声をかけた。

「大関、久しぶりに押しますよ」

大関は、大相撲の現役時代に膝を何度も壊している。だから長距離を歩くのがかなりの体への負担になる。私は、久しぶりに大関を押したくなった。それは、ただ昔に戻りたくなっただけなのかも知れない。

「昔、フジテレビの美術倉庫から大道具さんの台車を借りて、大関を乗せて台車を押したの思い出しますね」

「あれ、ミリオネアの撮影だったよな。俺、結構正解したよな」

大関は、当時を振り返り私に聞いてきたが、私は大関の正解数などもちろん覚えている筈もなかった。私の頭の中では、ミリオネアの収録ではなく速攻で大関を残し、その隣のスタジオで撮影していた女優が気になり勝手に見に行き、ドキドキしていた高鳴りを思い出していた。

背中を押すだけで当時の記憶が甦り、その女優の美しさに涙が出そうだった。

感動の光景と頭の中は別物の図

今回のイベントは、宇城市社会福祉協議会が主催するイベントの講演会で大関は熊本へ来ていた。イベントの制作に携わっているスーパースタータケテルをスーパースターとして紹介するならば、コロナ禍にも関わらず、それに負けないとんでもない陽キャが八代市にいると、熊本放送の「水曜だけど土曜の番組」というローカルバラエティで盛大に取り上げられたからだ。

それ以後、私達と連絡を取りあっても「夜は出歩けないわぁ。すぐにSNSで居場所バレちゃうわぁ」と聞いてもいないのに語るようになっていた。

えっ?まさか!と思っていたのだが、これがまた半分嘘でもないのが世の中の恐ろしいところだ。

私達の日本縦断企画の旅の途中で出会い、この20年程度の間に大関のサポートミュージシャンになり、そのキャラとは正反対の真面目さから信頼を得て、何度も九州で大関のイベントを開催し、さらにはスーパースターへ成り上がったタケテルを私達はネタにしながらも、「タケ上がり」と呼び讃えている。

久しぶりに揃った昼食でこの日の予定をタケテルから聞いた。

「この後は、支援学校や施設のサプライズ訪問だよ」

大関は、昔から自分が行う仕事以外に出来るだけ人が集まる場所へ訪問する。これは、自分が訪れることで、人に「力」を与えられることを知っているからだ。そして、自分も人から「力」を貰えるといつも言っている。私は、訪問に付き合うのが大好きだった。嘘でもなく、そこの空気が輝いて見えるからだ。

圧倒的な光は影を生む。私は大関のような光の役目ではない。影なら影で圧倒的な強い影であろうと光になれなかった自分を信じて今までやってきた。

だからタケテルに尋ねた。

「それで、私達はいつ前へ出ればいいんだい?いつでもオーケーです。ステージあたためておかないとまずいからね」

「いや、出なくていいから」

と毎回、このくだりをして出番前の楽屋を盛り上げる。いつものネタなのだが大関も、千絵さんも笑っている。

 全員笑顔な空気

訪問先に訪れると、子供達の素直な真っ直ぐな歓声で迎えられる。大関の話す言葉をしっかりと聞く。質問を一生懸命にしたり、皆が一生懸命に大関に来てくれてありがとうと伝えている。子供達を見る大関の眼差しは、本当に優しい。

こういう眼差しは、普段の生活でなかなか出会えない。子供達と大関のやりとりに自然と涙で感情が溢れそうになる。

大関が子供達に話す。

「皆で、歌って踊ろう」

タケテルや、バンドのメンバーが大関のかけ声で後ろにそっと並んだ。私は、大関のウクレレを持っていたので、大関に渡しに行った。

「ウクレレ使いますか?」

「使わない」

と大関は答えた。この瞬間私はすぐにポップを見た。えっ?まさか!と思ったが、彼は大関と同じ優しい眼差しで私を見つめている。私は期待されていると決心した。

バンドメンバーとしてこのまま残ろうと。

※私は楽器を弾けません

夢は叶えるものと大関に教えてもらった時がある。私は夢を自分で叶えた。ミュージシャンとして大関と同じステージに立ったのだ。

だが私のステージは、長く持たずにすぐに怒られた。

「タケの音をマイクで拾え」

「もう少しだけこの場にいさせておくれよ」と大関の言葉を聞こえない振りをしていたのだが、音が聞けないと歌えないので、私はデビュー史上最も速くミュージシャンを引退した。

タケテルの音を拾いながら
悔しさに溢れる背中の図

私は、しゃがみながらタケテルのウクレレにマイクを向け、大関の歌を聞いていた。前では、千絵さんと子供達が一緒に一生懸命フラダンスを踊っている。私は、タケテルを見上げながら、「タケ上がり」を体感していた。

もう1ヶ所訪問しました

夕食は、タケテルの友人のお店、宇城市の「ひさご」で食事をすることになっているという。私達は、当然のように同席を試みた。

「晩御飯は、大関達とタケテル達のダブルデートの予定と聞いておりましたが、私とポップが加わりますので、トリプルデートになります。おめでとうございます」

えっ?まさか!とは言わせずに同行することにした。

途中、不知火町にあるスタバに立ち寄った。

ここはとても雰囲気がよく、落ち着いていてビックリした。図書館や、美術館が併設されているのも素敵だ。

お洒落な私は、飲み物が飲みたくなったので大関に飲みたいものを聞いた。

「大関、なんか喉渇かないですか?」

「ゆずが入ってるの美味しいぞ」

大関の注文を受け付け、私は千絵さんをレジに誘い込み囁いた。

「大関が、ゆずのが飲みたいって言ってます。そして、私達もゆずのが飲みたいって思っています。ごっつぁんです」

千絵女将に「ごっつぁんです」と素直に言える関係で良かったと思う。仲良くテーブルでゆずのを飲んでいると、一人のご婦人が大関のもとへやってきた。

「現役の頃からずっと応援していました」

声を掛けられることは珍しくはないのだが、九州に限らず、地方へ行くと相撲の現役の頃の話をされる回数が多い。それも親や祖父母とずっと見ていたという話だ。

私は、大相撲を通して家族で盛り上がる日本の風景は次の世代へも引き継ぐべきだといつも思っている。

「こんなところで会えるなんて思いませんでした」

一緒に写真を撮影しながら、嬉しそうに話すご婦人は本当に幸せそうだ。

どうやったって会えない人もいれば、こうして会える人もいる。出会いとタイミングとほんの少しの勇気で人は思い出を自分で作れる。

そんなことを考えながらスマホを掲げ、なんなら撮影してる風に見せかけて、自撮り画面にして私のアップの写真にしとこうかと思ったがそれはやめておいた。

夕食のお店「ひさご」に到着してすぐに、鳥刺し、馬刺し、串焼きを堪能した。熊本は本当に美味しい。

「馬刺しは、『たてがみ』と『赤身』を一緒に食べると良い」

食べ方をタケテルに教わりながら食した。タケテルは、地元の仲間を大事にしいて仲間もタケテルを大事にしているのが伝わる。いい街だなと思う。

タケテルは、私達との繋がりにも会うたびに感謝の言葉を伝えてくる。私達は、きちんとこれからも返せるだろうか。大関も、その繋がりを理解しているから継続して九州へ訪れる。

私達の日本縦断企画により、約20年繋がりが途絶えなかったことは、自分達を褒めても良いことかもなと考えていた。

思い出話には、美味しい食事とお酒と仲間がセットであるべきだ。と歳を重ねたことを実感した。

帰りの送迎をしてもらっている車の中で、熊本に着いてから初めてポップが口を開いた。彼はかつてないハイペースでお決まりのレモンサワーを飲んでいて珍しく酔っていた。その第一声を皆が期待していた。

「健軍町でおろしてください。グーグルさんで下見済みなんです」

ポップは、私を連れて健軍町で車を降りた。

「スナックがいっぱいあるんだ」

ポップは調べてくれていた。私は、とても嬉しかった。今夜の私はまだまだ終わらないのかと思うと嬉しかった。

ネオンの下に、呼び込みの若い女の子が立っていた。彼女は、私達を飛び越してまるで遠くを見ているようだった。

「その視線は、私達が遠くからやって来たって知ってるのかい?」

そんなことを言いながら、そのお店に入店した。ポップは、「彼女の服装が可愛い」と私に囁きながら本人に直接「可愛い」を連呼している。なぜ私に服を褒めたのかは謎だが、私は乗り遅れた。こんなポップを見るのは久しぶりだ。

えっ?まさか!だが、今日は、私の日ではないと覚悟した。

なんのはなしですか

寝たのは、午前3時。
起きるのは、午前7時。

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ドッキリ3


自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。