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僕はノンフィクションが読めない。酒井聡平の生き方が綴るもの。

僕は戦争の話が苦手だ。

小説ばかり読んできた僕は、ノンフィクションが読めなくなった。どうしてもそこに書いてある事実を事実として飲み込むことで、言い様のない不安に駆られることがあるからだ。

ある人は、どうして広い視座で話すことから逃げるのですかと真正面から問いかけてくる。僕も自分で考えたこともある。現実で起きてることを自分の世界のこととしてどうしても向き合えない。

何か軽い発言になってしまうのでは。
何か無知を露呈して傷付けてしまう人がいるのではないか。安易に感じたことを発言していい事実ではないだろ。そうして自分で思考することを見送ってきた。

毎日をきちんと生きている子供の方が敏感に世界の空気を感じるのかもしれない。

「お父さん。日本は戦争にならないよね」

学校で戦争について、授業を受けてきた子供に聞かれた。僕は、本当に何も答えられなかった。

「それはわからない」 

「わからない」と答える自分になってしまっている自分を知ってしまった。

毎日、目にするニュースのなかで、僕のインターネットは、僕のことを僕より理解しているようでタイミングよく一冊の本のニュースを出してきた。いつも出てきていたのかも知れないが、呼ばれるように自然に読むことにした。

僕は、久しぶりにノンフィクションを手に取った。それは、ドキュメンタリーを見ているようでいて大きな手紙を読んでいる気分だった。

著者の酒井聡平さんが綴った事実だった。戦没者が二万人のうち、現在も一万人もの人が見つからないという事実だった。

この本は、酒井さん自身が硫黄島へ遺骨収集へ向かうことになった流れから、当時硫黄島で何が起きたのか、遺族は今何を思っているのか。自分がどうやって受け入れて、どうやって生涯を通して発信していくのか丁寧に描かれている。

僕は普段、小説を読むときはその題材を自分への落とし込みとして捉えている。起きた事象に対して自分の心はどう感じて、作品は何を描こうとしてるのかそういうことに向き合っている。

だから、ノンフィクションが読めなくなった。圧倒的な事実は、そこに心の逃げ道を許さない。想像とかで語れない。受け止めてくれと訴えてくるからだ。

細かく内容を書きたくないのは、やっぱり事実が書かれてるからだと思う。

「終戦」とは戦闘の終わりに過ぎない。「戦禍」には終わりがないのだ。

硫黄島上陸より抜粋

戦禍に終わりがないということを知ってしまったことは、戦争という言葉は、ずっと消えないことを意味しているように思う。

酒井さんは、ご自身の家族やお子様にもきちんと自分がどうして硫黄島と向き合っているのか伝えている。この本は、一人の熱量で書ける本ではない気がする。何かに導かれるように綴られている。

僕は結局、一冊に触れただけで何も変わっていない。戦争のことや、平和について考えると苦しくなる。自分の祖父は、戦地の中国に行っていたと覚えている。祖母は降伏しろと書かれた軍機から撒かれたチラシを見せてくれた。

寝ながらうなされていた祖父を見て父はよく、「記憶が甦ってるんだろ」と言っていたのを思い出す。

しちゃダメだ。絶対ダメだ。と誰もが知っているのにそれを真っ当に止められない。大きな声で言えない自分をそろそろやめたいが、考えることから逃げたい自分も大きくいる。

酒井さんは、Xで情報発信もしているので、関心ある方は私と同じ知ることからどうぞ。

この本が多くの人に訴えることを望みます。


【追記】
著者の方と編集者の方よりメッセージをいただきました。直接届くことを知り、書いて良かったと本当に感じております。ありがとうございます。



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