2024年1月の記事一覧
この部の本業はドッキリを仕掛けることです。部長としての宣言。三度目の九州でドッキリさせてやるぜ。
人の数だけ悩みが存在するならば、人の数だけドッキリが存在しても良いはずなのだ。これを唱えてからあっという間に四半世紀を迎えている。
私は、私の悩みの分だけ人にドッキリを与えるという命題をきちんと出来ているのだろうか。丁寧に。丁寧にドッキリしたい。
迷うあなたの暮らしにドッキリを
私のスローガンだ。
仮に、ドッキリが失敗するとそれと同時に沸き上がるのはこの感情。それは、相手に与えてしまう決定
公開された地図を頼りに後悔することなく航海する方法論
「お父さん。やっと茅ヶ崎に帰ってきたね。やっぱり落ち着くわ」
坊主は私にそう告げた。駅のホームで両手を拡げて深呼吸し、声のトーンが疲労を遠ざけた安堵からなのか少しだけ高くなる。
東京へ向かう電車に揺られて片道一時間と少し。乗り物に酔いやすい坊主は、無理矢理寝ようと頭をあちこちに傾けながらどうしたって寝れないみたいだった。
大きな音や人混みに敏感な坊主は、電車が近付くと耳を塞ぐ。私は、それを「
「すごい」の寿命を知りたい語り。
今年一番始めに「スゲーな」という言葉を心から発したことがある。
友人が同じ施設で三度男子トイレに間違えて入り、娘に怒られたというのだ。「今年はもう絶対に間違えない」と決意のメッセージを聞いてもいない僕に送ってきた。
僕は純然たる心からの「スゲーな」を送ったのだが、一つの違和感を感じたことを書き残したい。
心から「スゲーな」と人は皆感じて発しているのだろうか。
「スゲーな」の実際何割を本当に
四十二歳の戯れ言を、いつか真実にすることが楽しい道。
息子が干支にちなんだ龍を、樹脂粘土で作ると言った。
「お父さん。隣で見ていて欲しい。誕生日だからあげるよ」
と言いながら、新聞紙の上に材料を広げている。私は促されるように向かい合う形でテーブルに座り、小さな手で黄色の絵の具を粘土に混ぜ込む姿を、薄ぼんやりと見ながら思量することにした。
息子は自分の軀の中に外見上では全く判断出来ない「あるもの」を抱えている。それを「病」だとか「疾患」と表現した