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映画「サバカン SABAKAN」あらすじをたどりながら感想

映画「サバカン SABAKAN」の超ネタバレあり!感想です。
ざくっとしたおおまかな感想は、以下の記事。

こちらの記事、はちょっとあらすじを辿りつつ、上記の記事に書いた、

「え?こんな展開あり?」と自分が置いていかれる感覚も少ない。

と書いたことの補足的考えを。以下あくまで「私はこう感じた」というだけの話です。

完全にネタバレになるのですが、物語の後半、主人公の少年・久田(ひさちゃん)[番家一路]が仲良くなった竹本(たけちゃん)[原田琥之佑]のお母さんが交通事故で亡くなります。これに唐突感を感じる方もいるのかもしれないのですが、私はここへの導き方がフィクションとして非常にスムーズだと感じました。

まず、たけちゃんの家は貧乏でクラスでは変わり者扱いという、かなりのマイナスイメージから始まります。
そこからひさちゃんはたけちゃんと仲良くなり、観客はひさちゃんの視点で「たけちゃん良い奴だなー!」とプラスイメージへと昇っていく。一見、これで仲良くなってこの映画は終わりなのかな?とも思いますが、上映時間的にはまだ半分くらいだ、これはもうひと展開ある。

案の定ひさちゃんは、たけちゃんが実はお父さんを亡くしているという少し悲しいエピソードを聞かされます。けれどもたけちゃんは、それに挫けず貧乏大家族の長男としてすごくかっこいいお兄ちゃんだということを知る。貧乏な大家族でお兄ちゃんがしっかりもの。(物語でありがちな設定だと思います。こういうありがちの投入の具合も鬱陶しさはなくてちょうどいい。)

観客は、きっとこの映画の向かう先は、大人になったたけちゃんの幸せなんだろうと感じます。何故ならそもそもこの物語自体、大人になったひさちゃん[草なぎ剛]が、「良い思い出」の語り口で語り始めたものだから。大人の現実の切なさと対照的に語られているものだから。それがバッドエンドなわけないだろうと。

そして出てくるのが、たけちゃんのお母さん[貫地谷しほり]の存在。家族のために一生懸命働いて、いつも笑顔で、愛らしくて。ただ、この映画の中の世界観だと、ひとりとてつもなく浮世離れした感じがするんですよね。対照的に描かれるひさちゃんのお母さん[尾野真千子]やお父さん[竹原ピストル]は、正直しつこいくらいに人間臭い(笑)(それが全体としてとても良いバランスを作りだしているんですよ!)

このたけちゃんのお母さんの浮世離れ感により、なんとなーく映画全体に不穏な雰囲気が流れ始めます。そしてこのお母さんの、全く悪気のない言葉で、ひさちゃんとたけちゃんの間に芽生えていたはずの友情が壊れるかもしれない、という事態が起こります。

「ああ不穏に感じた理由はこれだったかーー」と、一瞬なるのですが。いや、このままだと、この映画終われないじゃん、ハッピーエンドにならないじゃん。ともなる。じゃあまだ更にもうひと展開来るな。と身構える。

その身構えているところに、たけちゃんのお母さんが、交通事故で亡くなる。という展開がやって来ます。この交通事故の瞬間への流れが実に典型的。

直前、お母さんは、子供たちのためにいつもは高くて買えないカップケーキを買ってあげたり、息子の初めての友達(ひさちゃん)のことを思い出したり。ほんのちょっと「いつもと違う」お母さんを映したあとに。
「いつもの通り」お母さんの帰りを待ちながら下の子らを寝かしつけているたけちゃん。
そのもとに1本の電話。

「ああ、このお母さん死んじゃうのか」と途中で気付かされるような仕組みがすごく上手だなと思いました。「いつもと違う」お母さんと、「いつも通り」のたけちゃん。
こういう流れの持っていき方が、すごく私にはしっくり来て、それがとても好きな映画でした。

最終的な落としどころとしては、お母さんの死によって、たけちゃん兄妹はそれぞれ親戚の家に引き取られることになり、転校が決まる。そしてその地を発つ駅のホームで、ひさちゃんは思い切ってたけちゃんを見送りに行き、タイトルの「サバカン」をもう一度回収し*、ちゃんと友情を取り戻し、いつものあいさつ「またね!」でちょっぴり切ないお別れを経験するひさちゃん、という流れになります。
(*「サバカン」のタイトル回収、途中にも1度あったのですが、それだけでなく、最後にもう一度回収してくる辺りが上手いなあと思いました)

この最後へ持っていくための、お母さんの死だったのか、と最後に気付かされます。(現実的に考えるとあまりにも残酷だけどフィクションとしては受け入れられる不思議な感覚)

友情に亀裂を入れかけた原因はお母さんのひとことだったけれど、またそれを修復させる原因を作ったのもお母さんという構造もなかなかすごい。深いなあと。

本当に「分かりやすさ」と「趣深さ」のバランスが絶妙なんです。

そういえば、どこかのネット記事で、「今の若い子達は不意に驚かされるのが苦手、ストーリーで感情を動かされるのも嫌だから、あらかじめ結末を知ってから物語をみていく」というような趣旨の記事を読んだことを思い出しました。

私個人的に「今の若い子達は〜」みたいな語り口はしたくないし、してはいけないとこの映画を観て強く思わされたのですが、それはちょっとだけ横に置いておいて(笑)

この記事の内容が事実かどうかはさておき、この文脈に乗るならば、私はこの映画自体、とても今の時代に寄り添った親切な映画とも言えるんじゃないかな、だから評価も高いのかな、と思ったりしました。

とは言え、この「お母さんの死」にショックを感じる人もいるのだろうから、うーーんどうなんだろう。

ただひとつ言えることは、この映画を観たい、と思う客層は、少なくともこの「お母さんの死」をそこまでショックに感じないタイプの人達な気がしています。(決して人の死を軽くみるタイプというのではなく、フィクションと現実をあくまで切り離して捉えるタイプというか…)

というのも、広告手段が変わってる、と感じまして。

まずこの映画って子役の2人が主役で、脇を固める俳優陣もものすごい集客を集めるタイプではないと思うんです(草なぎくんはジャニーズ出身だけど、私のなかではどっしり構えている俳優さんのイメージがあります)。とにかく技量とこの映画の雰囲気に沿うかどうかをきっちり判断してキャスティングしている印象を受けました。なので集客がある程度限られる一方、出演者ではなくどちらかというと、作品として観たいと感じて観る人が多いのではないかな、と。

そしてその「観たい」感情を起こさせる広告の顔であるポスターもやはり、出演者重視ではなく「サバカン」なんですよね。この辺がやっぱり上手いなーと。この映画を観て「いいね!」と思う人を、広告の段階で選んでる感じがするんですよね〜。結果、評価が高くなる。と。

万人受けしなくても、数人にでもそれが深く刺さるものだったら、それでいいんだよ、という、今の生まれつつある新しい時代の雰囲気も味わえる映画でした。

ところで「缶詰」でnoteのフォトギャラリーを検索すると、たくさんサバカンの写真やイラストが出てきてびっくりしました。気に入った2つをこの記事と、もうひとつの記事のヘッダーに使用させていただきました!

↓もうひとつの記事。こちらはざっくりとした概観てきなはなし。

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