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不安や恐怖を共感しあう。いつまでも安心を得られない。だから怒りと悪意をぶつける。

不安を解消するのではなく、不安に依存する人たちがいます。あたりまえですが、いつまでも安心を得られません。これは明日の私たちの姿かもしれません。あるいは、私たちは解消されない不安から生じたストレスの吐口にされるかもしれません。

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加藤文

特殊なようで普遍的

 福島県への風評加害についての研究会に出席することになり、過去に私が関わった首都圏から自主避難した母子や女性にまつわるできごとをあらためて整理しなおすことにした。

 自主避難者は風評に影響された被害者であると同時に、その言動が風評を生み出した加害者でもあるのだ。

 福島県への風評も自主避難者も、普通ではなく特殊なできごとと考えられている。しかし、これら2つのできごとを振り返ると特殊で異常なのはまちがいないが、他のできごととも共通する普遍性があるのがわかる。

 簡単に言ってしまえば「明日は我が身」だ。

あの人が日常を捨ててしまった理由

 自主避難者は不安を解消できなかった人たちだ。

 自主避難の異常さは、原子力発電所事故への不安や恐怖によって、ほんらい避難する必要がない首都圏から、夫など家族を捨てて関西や沖縄に避難した人がいた点にある。ここに書いた説明だけでも複数の異常さがからみあっている。1つめは、安全な場所にいながら不安や恐怖を抱えていたこと。2つめは、家庭を分断してまで避難を選択したことだ。

 「自主避難の異常さは」からはじまる説明に2つの異常さが含まれていた。しかも首都圏からの自主避難者について話をはじめると、さらに異常さを指摘せざるを得なくなる。

 説明をする代わりに異常さを列挙してみよう。避難者たちは不安や恐怖の原因を取り除こうとせず、むしろ安心材料を受け入れるのを拒否して、さらに不安や恐怖につながる情報を受け入れ、これらを仲間同士で増幅しあい、ストレスの袋小路にはまったまま怒りを外部にぶつけ続けていた、と5点も普通では考えられない行動をとっていた。

 実はまだある。

 ある避難者は次のように証言している。避難しないといけないと追い詰められた気分になって決断した。しかし、あとから思うと避難することに大きな迷いがあった。迷いながらも、逃げたほうがぜったいいいよと仲間同士で背中を押し合っていた。私が避難しても、続いて避難する人はいなかった。

 避難した者も、送り出した側も正常とは言い難い行動をとっていたのだ。

 押すなよ、ぜったい押すなよと言いながら熱湯風呂に突き落とされるコントがある。首都圏からの自主避難の場合は、不安や恐怖を抱えていた人々が熱湯風呂のふちに立って、押してくれ、もっと押してくれと背中を押し合い、それならばと迷いつつも落ちるための体勢をとった人を押しやった。

 自主避難者を取り巻いていた人たちは、避難者を送り出したことでカタルシスを得て振り出しに戻った。避難した人は決断の正しさを自己正当化するようになり、不安を手放せないままだった。ここまでしても両者とも不安への依存はやめられなかったのだ。


不安と恐怖に怯える共感にひたって得る安心感

 自主避難者と避難者を取り巻いていた人たちは、どこで不安ばかりを膨張させていたのだろう。

 私が関与した首都圏からの自主避難者はすべてネット上にあるコミュニティーの影響を受けていた。被曝の不安に怯えた人々は共感を求めて、当時全盛だった掲示板(BBS)や後にSNSで交流して、自分だけが孤立しているのではないと安心を得ようとしたのだ。

 『「ママ友」の交友関係におけるネットワーク形成とその影響(社会情報研究2022年/社会情報大学院大学/塩塚実奈)』で、「母親は気の合う母親と会話することで、ストレス解消し情緒的な安定を得ている。それと同時に情報も共有し合いながら日常生活に活かしている」と指摘している。

 では、なぜリアルな近所付き合いのほか子供の学校や習い事のママ友関係ではなく、ネット上のつながりで母親たちは不安や恐怖の袋小路にはまったのだろうか。

 『子育てにおけるSNS利用について(東海学園大学/武市久美)』では、「素の自分」をママ友に「みられる」ことを避けるとしている。放射線への不安と怒りは負の感情であり、この強い負の感情を吐露するのは素の自分をさらけだすことだ。ある自主避難者は勤務先で不安と怒りを吐露してみたが、同僚に適当にあしらわれたと証言している。同僚たちも、素の自分をさらけだす人物を歓迎せず、自らもさらけだす気がなかったのだ。

 そこで選ばれたのが匿名で交流できる掲示板やSNSで、「あなたも怖がっている。怖いのは私だけではなかった。これがまともで普通の感覚なんだ」という安心感を得たのだった。

 この安心感を持続させるためのエンジンを動かすには、さらなる不安や恐怖の情報が燃料として必要だった。なぜなら、不安がり怖がっている自分たちの感覚が正しいと肯定しあい、孤立していないことを確認して安心感を得るのが目的になっていたからだ。このため鼻血、がん、奇形児、首都壊滅と不安材料を次々と抱え込むことになった。

 不安と恐怖に怯えるママ友コミュニティーが、デマや風評の温床になっていったのには理由があったのだ。

 不安でとうぜんという共感に浸って安心感を得ているのだから、真実や科学的な判断は共感を乱すノイズでしかなかった。もし集団内に真実や科学を持ち込む者がいれば袋叩きにして追い出し、外部が安心させようと情報を提供すれば拒絶するだけでなく「近寄るな」と攻撃した。

 反原発運動そのものも負の感情の原因を取り除くのではなく、安心材料を受け入れるのを拒否して怒りを煽っていた。このママ友コミュニティー以外にもあった異常な心理を利用したのが、原発事故直後の御用学者やエア御用学者というレッテル貼りであり、吊し上げだった。また報道関係者が口にした「安全より安心」「不安に寄り添う」も同類である。

 時計の針を2020年代まで進めると、コロナ禍を混乱させた反ワクチン派の陰謀論者を発生させた構造がまったく同じものだった。彼らはワクチンにチップが入っている、毒物が入っている、二年後に死ぬなどと不安材料を集め続けている。またワクチン接種を推奨する国だけでなく医療関係者を攻撃して殻に閉じこもっているのも、これで説明がつく。説明がつくだけでなく神真都Qをはじめとする陰謀論者を取材すると、こうした証言ばかりが集まるのだ。


他人事だから負の感情をぶつけられた

 では風評を払拭するための全量全袋検査や広報が、真実であり科学的であるから福島県が攻撃されたのだろうか。実はこうした動きがはじまる前の、2011年3月17日に福島県への攻撃的な怒りがあったのを私は目撃している。

 震災後、東京電力管内は計画停電が実施されたが、3月17日に対象から除外された都心部のスタジオでかねてより予定されていたスチル撮影が行われた。撮影のため集められたミセスモデルたちは、国や東電ではなく「福島」に攻撃的とも言える怒りをぶつけていた。「震災で福島(の存在)は余計だった」と言うのだ。

 彼女たちは福島県について、ほとんど何も知らなかった。ミセスモデルたちに限らず、当時の首都圏在住者が福島県について知っていることと言えば、漠然とした位置関係やテレビ番組『ザ!鉄腕!DASH!!』のDASH村くらいではなかったか。しかも、東北電力管内の福島県に首都圏で使用する電力のため原子力発電所があることは見て見ぬふりをしていたのである。

 ミセスモデルたちの雑談の内容は「不安でとうぜんという共感」にひたるもので、自主避難者を生み出す集団の形成を数ヶ月先取りしていたと言える。そして素の自分をさらけだせたのは、近所付き合いや会社の同僚関係と異なる距離感でスタジオに集合していたからだろう。

 いずれにしろミセスモデルたちや自主避難者を生んだ集団にとって不安や恐怖心は、癒されることがなく袋小路のなかで膨れ上がり、怒りの感情が高められるばかりだった。怒りはいつまでも貯めておけず、ストレスは解消されなければならなかった。こうなったとき、自分たちと接点がなく何も知らない福島県が負の感情の当てつけ先に選ばれたのである。

 ここで再びコロナ禍の動向に戻るが、コロナ禍が全国津々浦々まで広がっていなかった2020年4月に他県ナンバー騒動が発生する。4月は、不織布マスクや手指消毒用のアルコール製品の枯渇が極まって、3月末に志村けん氏が亡くなるなどパンデミックへの不安と恐怖が最高潮に達していた時期だ。その後、福島県が受けた風評被害のようなものが特定の県や地域に発生しなかったのは、津々浦々から感染者が出てお互い様になったからだ。他人事だったから他県ナンバー騒動と差別がはじまったのである。

 原発事故後にも福島県ナンバー車への差別があり、その後も風評加害が続いた。福島県の存在が我が事ではなく他人事であり続けたからだ。福島県産は危険だから買うな、福島の女性が奇形児を産んでいるなどの風評は他人事だから流せるのである。被災地に住んでみろ、処理水を飲んでみろと言えば原発事故の影響を過大に語れると思い込んでいるのも他人事だからだ。「フクシマ」とカタカナ書きを続けるのも、好都合な人やできごとを標本化する他人事感覚の発想だ。


いつまでも安心を得られないままで

 ある絵本作家が原発事故の被災地を描いて発表し、放棄された家屋や整備が行き届かない街並みなどをひたすら写真に撮ってこれ見よがしに公開し、復興の様子を伝える人々に暴言を浴びせるのも、不安でとうぜんという共感を彼の周囲に維持したいからだろう。

 彼の絵本と写真は、不安であり続けるのに好都合な「標本」だ。「あなたも私も怖がっている。これがまともで普通の感覚なんだ」という安心感を生み出すエンジンに燃料を与えるのが、彼の作風であり活動であり商売だ。これらをいつまでも続けられるのは、彼にとって福島県にまつわるできごとが他人事だからということになる。

 例示してきたように、個人だけでなく報道が、政治的背景をもった運動が、市民運動が、創作物をつくる者が、不安や恐怖を共感しあう状態をつくり、いつまでも安心を得られない人々を生み出している。極まったストレスは解消されなけばならず、怒りと悪意が何者かにぶつけられる。

 不安や恐怖を提供していた者が活動の熱量を下げても、怯えを共感しあって安心感を得ている者たちが消えるわけではない。このことは福島県が長年悩まされ続けている風評による被害や、インフルエンザワクチン接種反対運動からHPVワクチン反対運動に続いた道のりを見てもあきらかだ。

 いつまでも安心を得られない人々はどこへ行くのか。この人たちは「標本」にされると同時に、自らを被害者の「標本」にして救いがないままの場所に留まる。選択に誤りがあったと気付いても、自主避難者が帰還にふんぎりがつかないケースでしばしばみられた光景だ。

 「批判をして敵を攻撃していれば怖さを忘れられる気がした」と証言する自主避難者がいた。「放射線の怖い話をしていると、どんな人たちにも受け入れられた。自分がカッカしているだけで人が寄ってきて、いっしょに怒ってくれた」とデマを拡散し続けた典型的な風評加害者は言っている。前者は帰還したものの崩壊した家庭を修復できないまま消息を絶った。後者は、いま新型コロナ肺炎にまつわるデマを流し続けている。

 このような話題を研究会で事例や参考文献とともに報告できるとは限らないのでnoteの記事としてまとめておいた。帰還支援で私はさまざまなものを失って疲れ果て後悔ばかりがあとに残ったが、このような知見を得られたのは僥倖と言ってよいだろう。


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