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参政党は彼らにとって次の10年間の居場所になる──短信

参政党を知るには支持者の言葉に耳を傾ける必要がある。彼らは彼らなりの真剣な理由で同党を支持している。彼らは損ばかりさせられてきた人々であり、左派やリベラルが目を向け手を差し伸べるべき人々だったのだ。
(文末に追記/2022.7.11/2022.7.7)

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加藤文宏(Kヒロ)


損ばかりさせられてきた恨み

 5月初旬に参政党の正体について記事を書いてから、参政党支持者と周辺から話を聞く機会を意識的に設けてきた。すると常識や教養のないカルトな団体と、信者と呼ぶにふさわしい分別がつかない支持者といった外見だけでは語りきれない実態があるのがわかった。

 一例を挙げよう。

 小麦は第二次世界大戦後にはじめて日本に導入されたもので戦前にはなかったと参政党は主張している。このまま信じた支持者もいたが、批判や嘲笑の声があがると「古代の日本にあった品種はグルテンが少ない健康的なものだった。グルテンが多いパン小麦がアメリカから持ち込まれたのは戦後だ」と擁護する者が何人かいた。擁護しようとして更にまちがった主張になっているが、彼らはこうして自分を納得させながら参政党を支持しつづけてきたのである。

 また「50代以上の人間は必要ない。50歳以上の人は生きてる意味はない。コロナに罹って高齢者が死んでも、そんなのは役割」と参政党が主張したとき、ある高齢の支持者は自分のことではなく悠々自適な老後を送る層について語ったものと解釈していた。

 おかしな主張に辟易として参政党から離れていった人がいる。いっぽうで、おかしな主張と自分の考えに折り合いをつけたり、個々の主張の内容はどうでもよく参政党の存在そのものを大切に思う人々が残った。これが参政党の現状と言ってよいだろう。

 支持者に共通しているのは「損ばかりしてきた」感覚だ。就職氷河期やリーマンショックなどのあおりをくった怨嗟が支持者から漏れる例が多い。うまいことをやった上の世代と勝ち組と呼ばれる同世代から、人としてまともに扱われないまま生きてきたというのだ。前出の高齢者は、自分はバブル景気の恩恵さえ受けられず、いまの生活がみじめなのは失われた30年の影響で「上級国民」は許し難いと恨みを抱いていた。

 1980年代までなら正社員として終身雇用の会社勤めをしていたり家庭を築いていただろう幅広い階層を想像してもらいたい。こうした社会と経済が瓦解して、損ばかりの人生を強いられた人々が民族意識を鼓舞されて逆転を夢見るのが参政党なのだ。

 

れいわ新選組と参政党

れいわ新選組と参政党をともに支持するTwitterアカウントの例

 山本太郎やれいわ新選組を支持するうえで便宜的に左派を自称していただけの人々が、参政党支持に移行しているのではないかと囁かれている。この噂を裏付けるように、れいわ新選組に親近感を抱きながらも参政党支持に転向した例があった。山本太郎はさまざまな候補を立てたが、いつまで経っても自分たちのための候補や政策が出てこなかったので見切りをつけたというのだ。

 山本太郎とれいわ新選組は、東日本大震災が与えたショックや原発事故による不安感をきっかけに不満を噴出させた層を取り込むことで成り立っている。彼ら不満層は当時の既存政党を支持できず、政党からも見捨てられていたため、山本太郎の反原発運動が政治に参加するきっかけになり拠り所にもなった。

 山本太郎が政治活動をして10年、れいわ新選組が結党されて3年、パフォーマンスを繰り広げるものの何ひとつ成果をあげられないまま現在に至った。それでも政党が消滅しなかったのは、不満層がアイデンティティーを維持するための居場所として同党が機能していたからにほかならない。

 だが参政党が活動をはじめた以上、れいわ新選組に留まる理由がなくなった人がいても不思議ではない。参政党はれいわ新選組と違い、損ばかりさせられてきた人々に向けてストレートにメッセージを発し続けているのだ。


2011年の不満層と2022年の損ばかりしてきた人々

 山本太郎が獲得した不満層と、参政党が集めた損ばかりしてきた人々の本質は同じだ。違いがあるとすれば、参政党支持層の基盤をかたちづくっている損ばかりしてきた人々のほうが考え方が素朴であったり、報われなさが甚だしい点だ。

 これは左派やリベラルが弱者や困窮者を切り捨てて政治的で独自な正義を追求したこととも関係している。山本太郎とれいわ新選組に見切りをつける人が現れたのも、前述の人物のように背に腹はかえられなくなったからだ。左派やリベラルの名札をつけても報われなかったのである。

 素朴な人々にとって反原発運動とその後の政治の季節は、俗世とかけ離れお高くとまった近寄り難いものだった。彼らはコロナ禍の混乱とともに拡大した陰謀論や、他人の言いなりになりたくない人々の反マスク、反ワクチン運動で政治的な一体感をはじめて経験したのだ。

 すると彼らに参政党が門戸を開いたのである。


これからの居場所と10年後の参政党

 山本太郎とれいわ新選組が何ひとつ成果をあげられないまま特定層の居場所として機能してきたが、ここに参院選の結果を問わず参政党が加わることになる。

 そして参政党の行く末を考えるとき参考になるのがNHK党の在り方だ。

 世の中のバグを修正するのが政治家だ。いっぽうNHK党の立花孝志は社会や制度のバグを見つけてパフォーマンスに利用することで支持層を引きつけてきた。つまりバグのありかを指摘するだけで何も仕事をしていない。だが特定の層はバグを見つけてパフォーマンスをする立花を我らの味方と信じて票を投じる。世の中は何ひとつ変わらず、そもそもNHK解体論すら一歩も前進していないうえに、支持者たちの境遇が改善されることもない。

 NHK党の支持者は、自分たちが嫌いな相手や侮辱したい対象を立花孝志がふざけてなぶりものにしてくれることを政治だと思っているのだ。

 このように何ひとつ成果をあげられなくても政党を存続させられるのだが、ありとあらゆる正義の味方を装うため支持層を置いてきぼりにしたことが山本太郎とれいわ新選組の失敗だったろう。反原発も反ワクチンも、もしかしたら経済政策さえも支持層が求めるもの“そのもの”ではなかったのではないか。

 では参政党はどうだろうか。

 小麦粉は健康の敵という参政党だが、同党からパン店の経営者が立候補している。牛乳は体に悪いと言いつつ、党首の神谷宗幣は遊説先でコンデンスミルクを使ったかき氷を食べている。それでも支持層が問題視しないのは、小麦や牛乳が敵なのではなく彼らに損ばかりさせる相手のほうが大問題だからだ。オーガニックや自然派であることは、誰かを批難し殴り自分を慰めるための道具にすぎないのである。

 参政党はひたすら損ばかりさせられてきた層のため社会や制度にジャブを打ち続けるだけで、山本太郎とれいわ新選組のように少なくとも10年は党を存続させられるだろう。支持基盤が求めている言動を絶やさなければ更に延命できるはずだ。

 だがそれだけだ。参政党の公約は彼らの報われなさを救うだろうか。たぶん何も変わらないまま次の10年が経過するのだ。

●追記1
参政党支持者は「損ばかりしてきた人たち」だけではありませんが、支持者に共通するのは現在の国内情勢への強い危機感で、得をしている人々への恨みや怒りを抱えているように思われます。また背景に民族主義的傾向があると言ってよいでしょう。

●追記2
参院選が行われ参政党が議席を確保しました。執筆のための取材からタイムラグがあり記事に反映できなかったことが選挙結果に現れています。

先日来、ツイッターで報告をしてきましたが参政党の街頭演説に耳を傾けていたのは「損ばかりしてきた人たち」だけでなく勝ち組とも言えそうな女性たちの姿がありました。また平日午後のカフェ店内から党員たちに手を振る主婦層も見かけました。また10代から20代がTikTokやYouTubeを通じて参政党支持に回っていることもわかりました。彼らもまた「損ばかりしてきた人たち」ではありません。

支持層内の比率、支持者が党に与える影響の強さの違いは現段階ではわかりませんが、参政党とは何かを考えるとき「あんがい普通に見える人たち(あるいは勝ち組)」と「動画SNSに集まる若年層」は無視できないものなのはまちがいありません。

 

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