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2023.10.04 春と秋は確かにそこに在る

彼岸花の咲く季節になった。京都にいた時は賀茂川沿いの土手の斜面におびただしい本数の彼岸花が咲いていて、まるで天国みたいだった(写真に撮っておけばよかったと激しく後悔)。

富山でも咲いてんのかなぁと思っていたら、あちこちで咲いていた。しかしその場所が気になる。駐車場の片隅に、家の庭の片隅に、公園のゴミ収集所のすぐそばに…。

なんか咲く場所がどこかしらの片隅に追いやられていて、健気なんだよね。京都みたいに一面の彼岸花みたいな感じではなく、言うなればどこかの土に種が飛ばされて混入したみたいな。

どこか寂しげで、でも孤高の気高さがあり、京都の時よりも彼岸花に感情移入しちゃってより好きになった。

そもそも彼岸花自身が、細~い茎をして、細~い花びらをして、でも造形として美しく、それでいて真っ赤で目立ちやすいんだよね。人の目を引く強さで言えば花界隈でもトップクラスだなって思う。1年のうちのごく限られたシーズンしか咲かないという儚さもいい。

色んなラジオを聞いていて、季節柄の話になるとここ数年「日本はもう四季じゃなくて二季だよ」という論調をよく耳にする。夏の暑さと冬の寒さが激しく、過ごしやすい春と秋があっという間に終わることから、春と秋なんてもう無いのではないかとのことだ。

そういうことを聞く度に、そんなことなくない?と疑問に思う。春と秋ってさ、短いけどあるっちゃあるじゃんって。

これが例えば、昨日まで最高気温8℃だったのが、今日から急に最高気温28℃にまで上昇するとなったら、俺も二季だって認めるよ。たった1日で20℃も上昇するってなったら、春と秋は無くなったと思う。

でもそんなことないじゃん。最高気温8℃だったのが、15℃になって、20℃になって、28℃になって夏を迎えるわけじゃん。そして20℃になって、15℃になって、8℃にまで冷え込んで冬となる。

気温がグラデーションで変わっていく限り、春と秋は確かにそこに在る。どれだけ短くなろうとも、桜は鮮やかに花を咲かせ、彼岸花はひっそりと赤く色づく。

それを無かったことにしてしまうヤツの気が知れない。短くなったからって無くなったわけじゃないじゃん。このままじゃ春と秋が報われないよ。寒さを和らげて布団から出やすくしてくれる春も、涼しくて心地よい秋も、ちょうどいい気温の提供しがいが無いじゃん。

きっと二季だとほざいてるヤツって、自分がスクールカーストの1軍で幅を効かせていたのをいいことに、ちょっと地味ってだけで多数のクラスメイトをいない者扱いしているような最低な人間なんだと思う。

ただ声がデカくて気が強い人のことしか印象に残ってなくて、繊細だけど大人になるにあたって大切なことを気づかせてくれる、心友となるはずだったクラスメイトを透明人間か何かだと思ってるんだろうな。

四季のある日本で1年のうち、暑くてだるかった夏と寒くて凍えていた冬の印象しか残っていないんだから、所詮そんな程度の人間なんだよ。お前らインパクトだけあればそれでいいんか?

朝起きたら布団がはだけてる。暖かな午後に新学期を感じる。見返すわけじゃないけど桜の写真を撮る。エアコンをつけなくても涼しい。視界の端に赤い何かが見えたと思ったら彼岸花だった。落ち葉の掃き掃除をしているおばあちゃんがいる。布団の温もりが嬉しい。

繊細な四季の機微があって1年というものは構成されているんだ。二季だと言う暇あんなら一瞬で過ぎ去っていく儚い春と秋を見逃すな。春と秋を感じられないのは温暖化とかじゃない、お前の怠慢だ。日々を無為に送り、強い刺激じゃないと反応できなくなっただけだ。

俺が一番好きな季節は秋。暑すぎて大嫌いな夏が終わって、涼しくなったのが毎年嬉しいから。