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架空の歴史

小学生中学年頃の話。

空想癖のある子どもだった。

空想のはじまりは、学校の授業中からはじまっていた。

授業に集中できない、興味がない、だけど座っているしかない、じっとしているしかない…から、頭の中でずっと違うことを考えたり、別のことを考えていた。

次第に、頭の中で物語を作ったり、お話を作ってその世界に浸るようになっていった。

それはだんだんとエスカレートというか、その時間は増えていき、1人でいるとき、学校の下校時間…1人の時間や退屈なときは空想をよくするようになっていた。

子供の頃、1番好きだったのは、1人だったり、幼馴染の友人と一緒になって、当時流行っていた、ガンダムの人形を使って、即興でお話を作って人形遊びすることだった。

自分で物語を作って人形を使って遊ぶのが好きだった。

人形を使わなくても、頭の中で物語を作って、1人で頭の中で遊んでいた。

小学校高学年になると、当時はやっていたボードゲームを、自分で絵を描いたりルールを決めて自作して、1人で遊んでいたりした。

何かを作っている、お話を作ったり、その世界の中で遊んでいるのが好きな子どもだったんだと思う。

そしてそれが、退屈な授業や、窮屈な学校生活、安全や安心のない、誰も守ってくれない、興味関心を持って見守ってくれない家族や家の中での、現実逃避や逃げ場でもあった気がする。

そんな中、心に残っている母親の一言がある。

歴史が昔から好きだった。

小学校低学年の頃から、親に買ってもらった学研の歴史上の人物のマンガ版伝記をよく読んでいた。

特に戦国時代が好きだった。

歴史上の人物の、活躍や合戦の様子などを知り、胸をドキドキワクワクさせて読んだり、好きな武将の本は何度も読んだ。

そんな歴史好きと、空想癖が相まったのか、小学校中学年か高学年の頃、架空の歴史の年表を作ったことがあった。

登場する人物もオリジナルで考えて、こんな出来事があったと年表にした。

とても楽しくて熱中した。

そして、興奮してこんなのを作ったと母親に見せた。

すると母親が一言。

歴史っていうのは、決まってるものから。

言葉は正確には覚えていないけれど、とにかく否定された気がした。

本当は褒めてもらいたかったんだと思う。

すごいねえと。

もしくは、へぇー、こんなの作ったんだ、全部自分で考えたんだ、よく考えたねーなどと。  

それから、歴史作りや、架空のストーリーを作ったり、お話を作って遊ぶ、熱中することはなくなっていったように思う。

そのことがはっきりと起因になってではなかったかもしれないけれど、だんだんとそういうことはしなくなった。

ただ、目の前のことに集中できなくて、興味がない時、集中が切れたとき、別のことを考えたりする傾向はその後も続いた。

大人になった今の自分が考えると、そこで、親が架空のストーリーを作ったことを面白がってくれたら。褒めていてくれたら。そんなことをしてお話を作ってることを、肯定してくれたり、興味を持って話を聞いてくれたら…

本当は褒めてもらいたかったり、認めて欲しかったのに、自分ではすごいものができたと思っていたのに、そっけなくあしらわれ、否定されたようで、がっかりした。

悲しかった。

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