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好きだったこと、楽しかったことを思い出してみる。②小学生

小学生の頃、好きだったこと、楽しかったことを思い出してみる。

相変わらず、虫取り、ザリガニ取りなど生き物が好きだった。自然の中で遊ぶのが好きだったということなのか。

近所に今はなくなってしまったが沼があったり、大きな田んぼ、畑があり、その用水路などでザリガニ取りをしていた。

夏になると、クワガタ取りに行った。住んでいる地域は住宅街で、少し遠出して、ほんの小さなクワガタが取れる程度だったけど。

ある夏に、雨戸の隙間にノコギリクワガタが飛んできて迷い込んでいるのを発見した時は興奮した。

雨戸の入り口手前に砂糖水を置いたりして、おびき寄せて捕まえた時はとても嬉しかった。

とにかく、生き物に関心があったみたいだ。

うさぎやモグラも飼ったことがことがあった。うさぎは、飼いきれなくなり、畑に放ってしまった。これはすごく反省。きっと生ききれなくて、野良猫にやられたりして亡くなってしまっただろう、無責任だった。モグラはすぐに死んでしまった。

相変わらず昆虫もザリガニもすぐ死なせてしまった。

住んでいる地域より田舎で自然が豊富だった、祖父母の家に行くのが楽しみだった、外遊びができるから。


野良猫を餌付けしていたこともあった。懐いてすごい可愛かったなあ。家で飼うことは許してもらえなかったけれど。

他に好きだったこと、楽しかったことといえば、ファミコンはやっぱり時代的にドンピシャだったのでやっていた。

うちは親がうるさくて、1日何分とか決められていたのだけれど、長期休みで祖父母宅に行ったり、友人宅に行くとそんなのはなし崩しになるし、学校の友人や祖父母宅近くに住んでいた幼馴染なんかとゲームはよくしていた。

どちらかと言うとシューティングやアクションは特に上手いわけでなく、信長の野望とかのシュミレーションや、RPGなんかが好きだった気がする。マイペースで考えながらできるからなのかな。

あと、小学生のときって、拘束時間が長いですよね。

授業中とか、その他なにかにつけて。

それがとっても苦手で、人の話を座って聞いてる、興味がなくても…というのがとにかく苦手な子供だった自分は、いっつも別のことを考えていました。

いつも、頭の中でお話を考えたり、架空の人物を登場させて物語を作ったりして、その物語、ストーリーをずっと考えている子供でした。

その時間はどんどん増えて、登下校の時間なども、空想考え事をするようになっていました。

目の前のことに集中できない、人の話を長いこと聞いていられない、頭の中で別のことを考えてしまう…というのは今も一緒で変わらない、治らないのかもしれない。

その空想癖は、のちに架空の歴史を考えて作ったり、流行りのボードゲームを、自分なりのキャラクターや内容で自作したりなんかしたりすることもあったりした。

そうだ、一番ハマっていたのは、当時はやっていた人形のキン肉マンのキャラクターの消しゴム、通称キン消しや、ガンダムのガン消し、ガンダムのカードゲームなんかを使って、自分のストーリーを作って遊ばせることなんかがすごい楽しくてハマっていた。

幼馴染の友人と遊ぶ時は、2人で即興のストーリーを作って人形で夜遅くまで遊んだり、友達と遊んでいても、夕方くらいになると1人になってストーリーを作って遊ぶ人形遊びがしたくなって帰ったりしたこともあった。

あの頃のお話作り、ストーリー作りがスラスラできた、創作能力はどこへ行ってしまったのだろう?

今は、絵本を作ろうと思っても、話が思い浮かばなかったり、全然そういった創作意欲もお話作りする意欲能力はどこかへなくなってしまった。

でも、この頃は、自分の作ったストーリーや、自分の作ったゲームで自分で遊ぶ。なんてことが好きでハマっていたのは確かだ。

あとは、テレビや漫画も人並みにだけどすきだった。

特に覚えてるのが、日曜の夜20時から放送していた、天才たけしの元気が出るテレビ、という番組がすごい好きで、毎週家族で見ていて、あまりに面白くて楽しくて、20時45分くらいになると、もう少しで終わってしまう…と悲しくなっていた。

漫画は、少年ジャンプ全盛期で、父親が一度買ってきたのを読んでから、黄金期と言われる時のジャンプはちょいちょい読んでいた。

流れ星銀牙
北斗の拳
ドラゴンボール
ジョジョの奇妙な冒険
シティハンター
魁!男塾

なんかが当時連載されてたっけ。

兄は、小学生の時に、サッカー少年団に入ったり、地元のボーイスカウトみたいな団体に所属していたり、そういう課外活動を積極的にしていたけれど、そういうのは自分はいっさい興味がなくてやらなかったなー。

兄は家の外に居場所を求めていた気がするけれど、自分は、自分の内側に居場所や逃げ場を求めていたり、あくまで家族や学校に順応したりすることが大事だと考えていたように思う。

与えられたものを疑いもせず受け取る、でも受け入れできず、空想に逃げる…そんな少年で、楽しかったのは生き物と自然の中で遊ぶこと、空想、創作、バラエティーやゲームなんかだった。

この頃になると、学校の体育の時間で、やらされることがうまくできず、運動音痴、不器用だと自覚して、野球やサッカー、その他スポーツを自分からやろうなんてことはしなくなっていた。

テレビでも特にスポーツ系に関心を示したりハマったりすることはなかったと記憶している。

そんな小学校時代だった。


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