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正義感の怖さ

今回は

正義感の怖さ
についての内容で
書いていこうと思います

正義感は一般的に

物事を処理するとき
正義を通そうとする
気持ち

という意味で
定義がされています

何か対処をする時に
正義という価値観を
通する気持ちの事を

さしているんですね

正しさがあるところに
必ず悪、という概念が
存在します

正しさだけで出来ている
世界は世の中にどこにも
存在はしないのです

それはちょうど
光と闇の関係性に
似ていて

光があるところに
闇があるのと
同じように

正しさがあるところに
悪も存在します

ただ、多くの場合は
悪は巧妙に隠れているために

表に目立って出てこない
ので、正義が世の中
まかり通っているように
思えるだけなのです

正義感は様々な対立の中で
力を発揮します

当然、異なる意見や価値観
主義、主張の中で

正義はなにか?
という定義が
成されて行きます

正義は共感を呼び
正しいという
多数の支持を得て

悪や対立意見を
排斥したりします

誤解のないように
言っておきますと

私も正義が
社会で正しいと
評価されるべきだと
思います

しかし、「正義感」
というものは

対立構造の中で
正しいという
免罪符を手にして

時に行き過ぎた
暴走をきたすリスクが
あると思っています

正しさは、極論を言うと
人の数だけあるものです

多くの人の共通の正義
というものもあります

意見が対立した時には
お互いに尊重して
議論を進めるべきなのですが

時に正しさが
先に結論付けられ
多数意見の形勢有利
と見るや否や

正義感を振りかざして
その他の意見を批判したり

攻撃したり
過度の同調圧力を掛けたり

悪人に仕立てたり
炎上させてみたり

やりたい放題が
まかり通ってしまう
現象が見られたり
するのです

正しさ、は必要ですが
正義感を振りかざして
悪を根絶しようとする
その思想は

危険思想に発展して
しまうのではないか

そんなふうに思うのです

正義感で人を裁くことは
本当に正しい事なのか?

あたらしい悪を
生み出している
原因になっていないか?

そういった正しさの
自戒というものが
正義を語る者には
必要な条件なのではないか

そんなふうに思うのです

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