【1分小説】無垢な罪人
お題:頭の中の罪人
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浮気なんて、断じて、一度もしていない。
けれど、かつてもう一人恋人だった女性がいて、彼女がこの町に住んでいることは疑いようのない事実だ。
優先席の隅に座って眠っている妻を見下ろす。
妻の背後に風景がながれている。ここは昔、俺とかつての恋人が共に暮らしていた町だ。
車窓に駅のホームが流れてくる。
見慣れた駅名。ふいに胸騒ぎがする。
あの時の彼女が電車に乗り込んでくる、そんな予感がして。
停車と共に揺れが足に伝わる。妻が目を覚まして頭をもたげた。
「今どこ?」
振り返り、駅名を見ようとする。
俺はとっさに、彼女の頭をなでるようにして、自分の方を向かせた。
「もう少し、寝てなよ」
妻は微笑んだ。何も知らない無垢な笑みが、俺の心にちくりと刺さる。
なぜか、責められているような気がした。
本当は、彼女は何もかも知っているのではないか。
知っていながら、こうして笑っているのではないか。
俺は首を振る。俺の中には罪人がいる。
犯してもいないのに、妻の笑顔が、良心の呵責が、過去の俺を罪人に仕立てていく。
家に帰る道で、花を買っていこう。
ふと思いついて、俺は苦笑する。本当は彼女は何も知らない。俺が勝手に罪滅ぼしをしたいだけなのだ。
電車にあたたかな西日が差し込む。