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今日は世間は母の日らしい

「実家、遠いからね〜。eギフトでドライフルーツのブラウニー送ったよ〜」
「えー、おれなんかAmazonだぜwwあのダンボールで届くと思うw」
「なんか、お母さんにお手紙書くのってすごく恥ずかしよね…!毎年書いているけど、いつも迷っちゃう。」
「お花贈るならカーネーションが無難なのかな?」

「ええ〜〜、素敵だね!絶対お母さん喜ぶやつじゃん!」

友人たちとそんな話をして、はじめて今日が母の日と気づく。

多分ショッピングモールやスーパーでさえも、いろんなところで母の日フェアをやっていたはずなのだけれども、私の脳内にその情報は留まっていなかった。

友人たちの話を聞いて、微笑ましいと思う。素敵だなと思う。

でも、私は同調するだけだ。
私が、私の母親に何かをプレゼントしたり、何か感謝を述べたりすることなんで想像できない。
私が小学生の頃から精神病を患い、ああ、嫌いだな、と思い、
22歳になった今は、嫌いとか、好きとか、そういうのではなくて、もう無関心。
できれば、脳内から消しておきたい"事項”。

温かい家庭や仲睦まじい関係という状態が好きだからこそ、他者のそういう状態にはとても称賛したいから、ニコニコする。

腹黒くなっているとかそういうのではない。
他者にはgoodと感じるのだ。
ただ、一歩引いているというか、指導者と生徒の指導者のように俯瞰しているというか、そうやって、自分のお腹の中のうずうずしている何かに対しては目を逸らしていないと、ニコニコ同調することはできない。

別に無理に合わせているわけではないのだ。
別に私がそのようになりたいわけではないのだ。

どうでもいい。どうでもいい。

説教したいならどうでもしてくれ。
むしろ交通ルールとか選挙みたいな義務だったら躊躇することなく母親にプレゼントするよ。
そこにDearはなくなるからね。


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