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COP26の会議場に「光合成の音」を響かせるサウンド・インスタレーション

友達から嬉しい報告がありました。ずっと連絡が取れず、何をしているのかと訝っていたら…。

光合成の音
先月中旬に終わったスコットランドのグラスゴーでのCOP26(第26回気候変動枠組条約締約国会議)。そのアドボカシー的な関連催事に、もう2年以上コロナ禍で会っていないアムステルダムの友人 Roosmarijn Pallandt が、独・ボン大学のAI研究チームとのコラボレーションによるサウンド・インスタレーション「Lights sounds Air」で参加したというニュース。本人はわざわざSNSなどでアピールする気はなし。しかし、孫の運動会一等賞のように誇らしく嬉しくて、このように、つい。
ボン大学のアナウンスにはこうあります。

... 毎晩、各国代表団が去った後の会議場、大気中に排出されたCO2を草木が光によって酸素に変える際の振動を利用したサウンド・コンポジションによって空間全体が包まれる。このアート・インスタレーションは、Roosmarijn Pallandt氏とPatrick Farmer氏 [生化学者]のコラボレーションによるもの。彼らは英国内で録音した草木の振動音※を使用しており、人間の可聴域にない自然の再生音を聞けるようにした。
夜になると会議場全体を蘇らせるこの作品は、想像力の集合的な力と、宇宙での我々の居場所を再評価する可能性を暗示する。「これは、ボン・サスティナブルAIラボとその共同パートナーが提供する素晴らしい例証です。アーティストの創造性は、私たちが新しい研究分野を開拓し、通常のパターンにとらわれずに考えることを助けてくれます」とエイミー・ファン・ウィンスバーグ[ボン大学の科学倫理学者]は語る。... 

昨今芸術村でよく使われる地口 artistic research の、本来の意味と目的にファン・ウィンスバーグ氏は巧まずして触れています。じつはARって、世紀の変わり目あたりから北欧、イギリス、スイス、オランダ等ベネルックスのアカデミズムの内部に生まれた自省的かつ実践的なディシプリンの改革思想なのです。根にあるのは科学者と大学の社会的責任の見直し。生え抜き的な経歴の学者だけでできた大学や学会の体質を変える。硬直化した学術的思考フレーム、ジャーナル中心の研究成果公開、普遍的と信じられている科学的明証性、研究資金と研究成果の倫理的関係 ... そうした要素の功罪を、芸術家のように直感的でアブダクティヴな、仮説推論的な探求の過程を自然に選択する創造世界の人々との接点で再検証するのがとりあえずの目的。コラボレーションにとどまらず、実験人類学のように科学者自身が創作の場に立ち、自身の既得のアイデンティティを宙釣りにして、未知の何かを「期待の地平」に探るという姿勢もあります。だから、お手盛りのアウトリーチや学際主義とは少々意味が違う。とまれ、コラボのために出会うべき他者ではなく、あなたを待ってくれている「他の自省」があるということを、芸術家はもっと知るべきかもしれません。

人気のない夜の会議場で
ミトコンドリアで有酸素エネルギー代謝を行うすべての生き物にとって欠くことのできない、外部の物質・エネルギー転換、光合成の音が、昼間の熱い議論で消耗した会議場の「再生」のために、人のいない夜に響き渡る。つまり、「そこで今、耳をそばだてる人」の存在、聴衆の臨在は、作品にとって必要十分条件とはならないのかもしれません。

この「浄め」と前人間世界の声への通底というニヒリズムは、彼女のリサーチ経歴(2015年〜)に即して測るに、沖縄や八重山諸島の御嶽※※ の風景的な虚無と、そこでの女性の祭祀者[ツカサ]の存在論から学んだのではないか。この人類学的な祓いのためのポスト=ヒューマニズムを、環境倫理学の視点から人工知能の意味と限界を探求する公的研究組織と共有し、芸術にとっての技術の有用性(応用科学)とは無縁の相で実現できたという事実も素敵だと思います。

美術好きの人の中には、わたしも大好きマーティン・クリードの作品、誰もいない夜のテート・ギャラリーを思い出す人もいるでしょうが、そんなコンセプチュアリストではない。真逆のスピリスチュアリストだし、新=形而上学的な環境主義者。わたしならばこれを、思弁的実在論の哲学者レイ・ブラシエの本の書名をとって「開かれたニヒル」と呼びたい。オランダでは、ハイデガーの苦悩を描くモノドラマの舞台映像も担当しましたから…あながち空疎な徽章でもない。

ファン・ウィンスバーグ教授とともに、一種のエクスカーションなのでしょうか、各国デレゲーションへのコンセプト披露の席にも加わりました。

友人としてずっと議論しイメージしていた球筋で、芸術村の外のキャッチャーミット、そのひとつにようやくボールが入ったことになる。知り合って7年目、昨晩ようやく 、おめでとう!を。もうひとつのミットは沖縄に、これがコロナでなかなか…。

彼女は、自分はアムスの現代美術シーンにいる多くの芸術家のようにロジシャンや戦略家の顔も言葉も持っていない、むしろドリーマーだとよく言います。でもそれはたんに他我と向き合えない夢想家を指すのではなくて、アボリジニのドリーミング、人生と航海と動物と星を語る文法それじたいのことでしょう。ビューティフル・ドリーマーたち(押井守)は、反世界の亀の背の上に、でしたよね。

残す0.4℃の費やし方
ところで、やはりバイデン効果はありましたね。産業革命前からの気温上昇幅を2℃に抑えるという2015年パリでの採択値が、2050年までに世界をカーボン・ニュートラルにもっていくという目標のために1.5℃に下げられ、しかも公式に明文化された。イギリス政府は、同盟国アメリカの大統領選以降の国内反応なども配慮しつつ、非常に周到な準備をこの一年行なって来たと言われます。

世界は許容幅をすでに1.1℃まで食ってしまっているから、この0.5℃の目標修正は、達成に成功しようがしまいが、永遠の経済成長という幻想を撃ち壊すに十分なパワーをもっています。

しかし、シャルマ議長は最後の合意文書の発表で涙ながらに謝罪しました。10日の合意文書の取りまとめの段階で、経済活動最優先のモディ政権インドが反発。従来からのカーボンエネルギー生産(化石燃料への補助金支援など)の段階的な「廃止」という文言を、「削減 」へ修整するよう求め、これに中国が同調。結果、トーンダウンした合意文書になってしまいました。動画では、シャルマ氏ほんとうに涙を拭っています。皆、悔しいよ。

どこぞの政党も同じ。コロナ後の経済V字回復を約束するそうな。そのポピュリズムでなんとかなると考える政権と有権者の妥協的同調が続く限り、日本は現在の移民政策と国籍条項の純化思想のおかげで、2050年には総人口が現在から3000万人減って9500万人(国連推計ではさらに世紀末には7700万人へ)、高齢化率がなんと40%の超シュリンク国家のまま、沈没。今日結婚式のカップル、子づくりはともかく、孫やひ孫の顔、見れるだろうか?

残す0.4℃の費やし方、あの世で見ていましょうか。

※光合成振動 photosynthesis oscillationという現象らしいです。様々な化学反応が、閉じた環境のなかでも周期性をもって自律的に振動することは、高校の化学でも勉強しました。そうした物質のミクロな振る舞いを捉えて可聴化する手段が何かあるのでしょう。電位差変化をセンスして発振回路で「話す植物」的なインタラクションに変える試みは昔からありますが、それとは別物のようです。

cf. Photosynthetic oscillation in individual cells of the marine diatom Coscinodiscus wailesii (Bacillariophyceae) revealed by microsensor measurements -- S. Kühn & J. Raven, 2007.

※※ 現在の御嵩の多くは、ヤマトの神社神道の姿を建築物として映したり、祭壇など祭祀のための道具が設えてあったりしますが、本来は人工の宗教的指標が何もない自然の一部、巨木、祠、海岸洞窟、大岩が霊所としての見立てをうけ、代々継がれていくだけのこと。