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インティマシーで表現は守られるか?

インティマシーコーディネーターという職業がある。最近出始めたばかりの職業で「不適切にもほどがある」というドラマでも取り上げられていたが、要するにラブシーンを演じる女優と監督・演出家等の間に入り、従来であれば監督・演出家が役者にイメージを伝え、ある意味その場の流れで撮っていたようなものを、 インティマシーコーディネーターが「女優にここまではやらせていい」「ここまでは見せていい」とか、そういうラインをあらかじめ提示し、要するに女優本人が言いづらいことを監督・演出家に対し伝え、ラブシーンが過剰にならないよう抑制する存在らしい。

「インティマシー」というのは「親密さ」という意味で、この場合は性的な意味合いを持つ。インティマシーコーディネーターは2010年代ポリコレの流れで起きたMeeToo運動に端を発するアメリカ発のものであるらしく、要するに女性の権利拡大という大義名分がある。

とは言え、そんなに性的なシーンに外部の者が随時口出しして良い作品ができるのかという疑念もある。監督や演出家の立場から見たらインティマシーコーディネーターはいちいち性的なシーンに干渉してくる面倒な存在であるとも思われ、現に最近のある日本映画で女優側がインティマシーコーディネーターの起用を求めたのを「間に誰も入れたくない」と、監督側が断ったりといった例もあったらしい。

「この(性的な)シーンはどんな意図で入っているのか」みたいなのを常に問われ続けられれば、当然いわゆるサービスショットみたいなのは減らされる事になる。昔は子供向けアニメでもそういうシーンがたくさんあり、そういうのが性的関心の入口になってる面もあったが、今後はますますそれは望めないという事になる。

一般的な職業においては当然女性の権利は守られるべきだろうが、表現分野においては「人権」に対する過剰な配慮は表現規制に繋がり、ひいては作品自体の魅力を著しく下げてしまう現実もあり、それはインティマシーコーディネーター発祥地であるアメリカのポリコレ映画によく表れている。日本の昔の漫画作品だって現在の「人権」基準でいけば出版できないアウトなものばかりになるわけで、表現分野は「人権」の治外法権であるべき面もあるのではないかと。

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