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変な人で突き抜けて。

人は、わりと型にはめたがる。
分類して、振り分けて、まとめる。

その中に収まれば、多数派としての安心感があり、「皆と一緒」という多数同じであれば怖くない、私は間違っていない。
私は変ではない。
こういう部類に分けられるんだ。
と、ほっとする。

 ひとりぼっち/取り残される/疎外感
を無くしてくれる。


ちょっと頭が痛いな…あ、この症状皆と同じだし、多く当てはまる。これは偏頭痛か、良かった。名前があった、未知の病ではない。 

みたいな感覚だと思っている。

わたしは、小さい頃から周りと一緒が嫌なくせに、ある程度一緒でなければ不安になる。
という、どっちつかずの突き抜けない人だった。 よくも悪くも無難なバランス。


ただ、たまにすごく突き抜ける。
あまり周りを気にしない、やりたいことや好きなことは好き!
着たい服は着るし流行りなんか知りません。
校則は守りますが、好きにしていいところは好きにします、好奇の目で見られても知りません。どうぞお好きに。

な、意味のわからない強気な自分が心のなかにいる。


思い返せば、それは妹と歩いているとずっとそうだから。
幼少期から、週末のお出かけといえば妹の病院だったし、酸素ボンベを押しながら歩いたり、今では白杖を持って歩いている妹。
知的障害もあるので年齢と見た目や脳が合致しない。とても幼い。
障害者の隣。という、独特の哀れみた、変わったものをみる、または助けましょうか?という慈愛の視線を浴びて生きてきた。


小さな頃から、そんな感じだったので、
「なに見てんのよ!」
という、いつかの芸人のようなセリフを心のなかで何度も思っていた。
時には、
「なに見てんねん!こら!」
という関西の絡むタイプの怖い人が心のなかに居るときもある。 

常に周りは敵だと思っていた。


だから、わりとどんなことも平気で
周りから浮いちゃうなぁ…という不安で抜けきれないってことはない。むしろ浮けばいい。と思う。
と、同時に一応世間体は気にする(親のためにも)ので、良いバランスを保っていたつもり。


でも生きにくいなぁと思っていた。

頑固で偏屈で天の邪鬼で変態。
変人。
色んなことに敏感で共感覚で、心の中は複雑で、、、

ある占いで、宇宙人のよう。と言われて、ものすごく腑に落ちた。
あ、わたし宇宙人だった!
と思ったらすごく楽になった。

結局、分類されて、ほっとしてる事に気づいた。

自分が何者なのかを紐解いていく作業はとても気力がいる。
紐解かなくていいのかもしれないけれど、
突き詰めたくなる。
と、同時に、生きにくいなぁという感覚を忘れたくもなく。

結局のところ、それを集めたものが個としての資質で、それを認めて上手く束ねていく作業が人生なのかなぁと、ぼんやりと思った。




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