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その幸せを怖がることをやめる。


いつからか。
幸せな気持ちを感じると、それを怖いと思うようになっていた。

幸せすぎて怖い。
幸せなことが怖い。
幸せと感じることの罪悪感。
幸せを感じてしまうなんて。
それは、なぜなのか考えていた。


何点か分かったこと。
それは多分、心の奥底で幸せになってはいけないと思っていること。
満たされてはいけない。

そして、一度感じてしまったその幸せを失う事が怖い、ということ。

こんなに幸せになってしまったら
後が怖いよ。
だから、幸せにならないようにしよう。
幸せと感じないようにしよう。

貰った幸せも、めいいっぱい感じたら
心の奥底にキレイに押し込んで圧縮してしまう。
満たされた気持ちは、思い返して感じてみてもすぐに怖いと思う。
忘れようとする。
感じないようにする。
これは、すべて偽りだ、そんな事実はない。と、捩じ伏せる。

気がつけば、
失っても困らない程度の幸せに囲まれて生きていた。


傷つくことが恐怖になっているのだと思う。
もう傷つきたくない、と心も脳も拒絶してしまっているような。
自己防衛力が長けてしまった。

そんな気がする。
本当は、すごく気が小さいのかもしれない。
考えすぎると動けなくなるし。

過去の記憶も部分的に失くなっているので、私の脳は私の心を守るために消してくれたのだと思っている。
そんなに辛いことを経験してきた気分でもないけれど、あの悩み考えすぎ壊れた日々はきっと辛かった。
「もがく」
その言葉が一番当てはまると思う。

それがあっての今だから、今はとても感謝している。
もがいた自分にも、寄り添ってくれた人達にも。支えてくれた家族にも。
過去の経験によって創られた今の私。
(皆そうやって、生きているのだけど。)


最近、幸せの種がたくさんあって
幸せと感じることが増えて、心がほどけて融けてきていると感じている。
毎日ではないけれど。
融けて、溶けて、蕩ける。


それを素直に感じて、素直に幸せを受け入れてみようと思った。
たとえそれを失ったとしても、幸せと感じた先にしか解らない景色を観てみたい。
というよりも、飛び込んでみようと踏み出す。


失っても困らない程度の幸せに囲まれていることは、ぬるま湯に程よく長く浸かって居られるだろう。
幸せだと感じて、哀しんだり心地よくなったりすることは、熱めのお湯に浸かってのぼせることも、冷たい水に浸かって風邪を引く事もあるだろう。


むずかしく考えなくても感じるままに生きてみよう。
それで失敗したり傷ついても、それはその時に感じよう。

自分で作る幸せも
人から与えられた幸せも
満たされた心地も
浸ってみようと思う。

今を生きる、とよく聞くけれど
ずっと今よりも少し先を見据えて困らないように生きてきた。
それは、すごく大切なことで未来の私にとっては最良のこと。
でも今の自分が感じる幸せを、未来に後回しにしているような気がしてきた。


今しかない今を
今だから感じられた気持ちを
渡してくれる贈り物を

素直にまっすぐ、
騙されたように受け取り感じてみる。
それも経験なのだろうな。

私がどうしたいか、
を少し考えられるようになってきた。
どうした方がいいのか、ではなく。
私はどちらがいいのかな?
を一旦考えられるようになってきた。
気がする。


そんなにスルッと丸々変われないけれど、
幸せだなー を積み上げて
心地良さに浸って
満たされる時があっても
少しなら罰当たらないかな。
って気持ちでいこうと思う。


私の人生のなかに、そんな時があってもいいかな。


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