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50になると繊細じゃなくなる話

50歳になった。正直自分が50歳になると思ってなかった。多分、今20歳の人も30歳の人も自分が50になるとは夢にも思ってないだろうけど死ななければ確実に50になるのだ。

40代まではまだ自分が世の中の商売のターゲットになってる気がしたけど、50歳になると

「あぁ、もう自分は世の中の中心じゃないな。誰かに気にして欲しいとも思わないし、目立とうとも思わないし、前から歩いてきたちょっと偉そうなオッサンにイラつくこともない。なぜなら自分もオバハンなので」

と自虐とも許容ともつかない不思議な気持ちになる。

昔は私も森高千里の例の曲をカラオケで唄ったりもしたが、本当になるとは思わなかった。

そう、本物のオバハンに。

どーすんだ私と思いつつも、今の世の中、こんなに女にとって生きやすい社会になったことを誰が想像したかと思う。

昨日久しぶりに会った男友達が、「家族のご飯は僕が作ってるんだよね」と言った。その後に「嫁は何もしないから」って言ったので、私はなにも考えず「へー、そうか、すごいねー。あ、嫁は職業的に手に怪我できないもんね?」と何気なく返答したら彼は「あ、いや、そうか、「しない」じゃなくて「できない」だね」と言っててまじでビックリした。

それは私に気を遣ってるんですよね、おそらく。女がご飯作るもんだって言う前提があるから「嫁は何もしない」と言う言葉を責められてると思ったのか、はたまた今時の社会人としてジェンダー配慮が足りないといったようなことなのか、とにかく今時の男って大変だなと思った。

私はずーっと周りが男ばっかりのとこでハードに仕事してきたので、社会性は比較的高めだと自己評価してて、そう言う何気ないことにいちいち反応しないことが社会を平和に過ごすコツであると思ってたけど、今は社会が過剰に反応してくれるので、一般の社会人女性は心の中のツッコミ回数が減ってだいぶ楽になってるんじゃないかと思う。

大マウンティングしたオッサンのリバウンドがすごいことになってるよね。元首相とかね。マウンティングリバウンド。いいね。あれはもう血肉に擦り込まれてるから、本人は何が悪かったのかは本当の意味では全くわかってないけどね。

かく言うこんな私も40代そこそこまで、結構繊細だった。人の言うことが間違ってると感じるとイラついたり、自分が優秀だと思い込んでバカは嫌いだと公言したり、なかなかの傍若無人な人生だった。

要は自分も男社会で負けないためにマウンティングオヤジを逆マウンティングしていたのだろうと思う。そのためにものすごく頭と精神を使ってたと思う。相手からの評価も気にならないと思い込んでたけど実はすごく気になっていたし、相手に不快になられることにも敏感だった。結局繊細だった。

これから私が人生で経験してきたことをちょっとずつ書き残して行こうと思う。人との関わり合いの中で今思うことがたくさんある。50になって、なんで繊細じゃなくなり、楽になったんだろうか。紐解くと心に残ってる全ての人との関わりが起因してる気がして、それを自分で検証しながら形に残すことは、ひょっとしたら誰かの為になることもあるかもしれないと思ったりして、それが私が何かこの世に残せることになるのかも、と思う。

長くて短い人生の中で、今思い返すとあのことはすごく大事なことだった、ということがある。記録しておきたいことがいっぱいあることに気付いたのだった。多分時系列はバラバラ、思い出す順で書きたい。

大事なこと、とかかっこいいこと書いてるけど、ものすごくバカみたいな話もあるんだ、そういう話とかも書きたいからあまり構成をしっかり作らずに書き始めようと思ってます。スイッチ入ると妄想癖が激しいので、ノンフィクションから始まるフィクション的なこともあり、寄り道も避けられないけどそんなわけで気負わずボチボチ書きたいと思います。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。初めてのnoteは割と楽しく書けました。




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