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映画「さらば、わが愛/覇王別姫」〜切愛のレスリー・チャン

30年ぶりだろうか、映画「さらば、わが愛/覇王別姫」を再度鑑賞した。

京劇、激動の中国史、男女三人の運命が交差した、一大叙事詩のような物語は、当時まだ20代前半だった私でさえ、心が震え深く胸に刻まれた作品だった。

それまで京劇の古典「覇王別姫はおうべっき」については全く知識がなかったが、その後、ドラマなどで項羽(覇王)と虞姫が取り上げたれた際に自分でも調べたりしたので、昔よりは自分の中では少し理解できるようになったと思う。
しかし、覇王別姫はおうべっきについて知識がなくとも、十分に物語の世界には浸れる作品だと思う。



女郎の母親は大きくなった小豆(幼少名)を遊郭で育てることが出来なくなり、京劇の俳優養成所に置き去りにする。
小豆の左手の指は6本あり、それを一目見た師匠は、そんな指じゃ役者にはなれないと言い捨て、小豆の引き取りを拒む。
追い詰められた母親は、小豆の余分な指を切り落とす、という強烈なシーンが冒頭から飛び込んでくるが、この養成所での修行というのも目を覆いたくなるほど過酷で、体罰は当たり前、ほとんど虐待であり、脱走する者もいる。
小豆も一度は逃げ出すが、街で観た京劇「覇王別姫」での役者の演技に心打たれ、師匠からの折檻も覚悟で養成所へ舞い戻る。
このような境遇を見ていると、ジョン・ローンのことが頭に浮かんだ。彼も孤児で、子供の頃に京劇に魅せられ自ら希望し養成所へ入ったが、修行はとても厳しいものだった、という生い立ちを何かで読んだことがある。

養成所で幼い頃から寝食を共にし、いつも小豆を庇い守ってくれたのが石頭(幼少名)だった。
やがて成長した二人は京劇のスターとなり、小豆は蝶衣ティエイー(レスリー・チャン)、石頭は小樓シャオロウ(チャン・フォアンイー)という芸名を名乗るようになる。

コン・リーも素晴らしいが、やはり何と言ってもレスリー・チャンの演技に、心揺さぶられる。
男であるが女でもある、境界の曖昧な圧倒的存在として、美しく、妖しく、哀しい、蝶衣の艶姿が記憶に焼き付いている。
今観ると、その後のレスリーの実人生とも重なってしまい、さらに胸の奥が疼く。
レスリーは、ウォン・カーウァイ監督の「ブエノスアイレス」で演じたような、男を破滅させるような魔性の男もハマり役だったが、それとは真逆の一途な蝶衣も当たり役だった。両者に共通しているのは退廃的な影を纏っているところか。
蝶衣の指先まで優雅な仕草に、レスリー・チャンの面影が見える。
彼がこの世を去ってから、早いもので21年が経ったのか…

生涯共に舞台に立ち、一生自分の側にいてほしい、と願う蝶衣に対して、相手役の覇王であり、蝶衣が惚れ抜いた男である小樓は
ー舞台と現実は違う
ーお前は芝居に取り憑かれ、常軌を逸している
ーどうしてそこまで、こだわるんだ
度々そんな言葉を蝶衣へ浴びせかける。
蝶衣は役と現実が混同しているだけだと、本当に小樓は思っていたのだろうか?
蝶衣の自分への愛を、最後まで理解しなかったのだろうか…
舞台の世界こそが、蝶衣にはまことであり、全てだったというのに。

劇中では何度も鏡に映る蝶衣の姿が映し出され、時に鏡の中の自分や相手に向かって語りかける。これは女形である蝶衣を演じている自分という、虚像を現しているのだろうか。いや蝶衣にとっては、化粧を落とし男の姿に戻った時の方が、偽りの自分だったのかもしれない。
叶わぬ愛に身を焦がし、やがて蝶衣は阿片アヘンに溺れ中毒になってしまうのだった。
一人の男を愛し抜き、悶え苦しむ蝶衣を演じた、レスリー・チャンの気高く儚い佇まいと、時に虚無感が漂う虚ろな表情に胸を突かれる。

監督のチェン・カイコーは、小樓の妻となる菊仙(コン・リー)と蝶衣の愛憎、人間の業や複雑さも鮮烈に描いて見せた。
強くしたたかな菊仙は、小樓を間に挟み、蝶衣が嫉妬に燃えるライバルであり、自分を捨てた母と同じく女郎だった菊仙は憎むべき女だった。
しかし菊仙は、時として姉や母のように蝶衣を包み込む情け深さもある。恋敵と一括りにはできない存在だった。
菊仙もまた、小樓との愛に生きた。
小樓は、気のいい男だが、鈍感で俗物的なところもあり、はっきり言って二人が全てを賭ける程の男とは思えない面もあるのだが、そんなところもまた人間くさい魅力となっていたのかもしれない。

劇中での色彩も美しい。
衣装や室内装飾の赤は緋色の赤、黄色も砂をまぶしたような黄色、これこそがアジアの色なのだと感じた。
小樓との結婚式で菊仙が着ていた赤い婚礼衣装、バージンロードらしき赤の絨毯を自ら蹴って転がし前へ進む姿には、菊仙の自ら人生を切り開いてゆく意思の強さが現れていた。
しかし、次に同じ衣装を身につけた時の菊仙は、自らの運命を予感していたかのように、迫り来る暗い影に怯え、不安に苛まれていた。
コン・リーは、激しくエモーショナルな役が似合う。

文化大革命の名の元に、やがて京劇俳優である小樓と蝶衣も弾圧を受け、自己批判を強いられ追い詰められると、ついには互いの過去や罪を暴き、裏切り合い、痛々しいまでに、人の奥底に眠る醜悪さ、愚かさが公衆の面前に晒される。
このシーンでは、人間というものを鋭く追求するチェン・カイコー監督の、冷徹な視点を見せられた気がした。



大きな歴史の渦に巻き込まれ翻弄される、三人の男女が織りなす人間模様は、突き詰めれば愛の物語であり、その愛に、菊仙も蝶衣も殉じた。

上映時間・三時間という大作だが、その世界にラストまで惹き込まれるように観入ってしまう名作だ。





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