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インクルーシブデザイン

 本編⑫では、デザイン思考の実施に際して、これまでターゲットとされてこなかった少数派の狭いニーズや、極端な行動をとる人々の深いニーズを優先的に探し出そうとすることがよくあると述べた。そうすることで、誰も気づいていないニーズ(指摘されて初めて気づくような潜在的なニーズ)や、今はまだ小さくても将来大化けする可能性のあるニーズを探り出すことができるためである。

 このような“これまで排除されてきた人々をターゲットに含める”アプローチは、「インクルーシブデザイン(inclusive design)」の名で呼ばれることもある(井坂,2019)[注1]。キャット・ホームズ(Holmes, K.)氏の著書『ミスマッチ』には、このインクルーシブデザインのことが詳しく書かれている。そもそもタイトルにあるミスマッチとは、サービスや製品づくりに死角があることで生じるユーザーとの間の不釣り合い(=ミスマッチ)のことであり、その死角こそ、これまであまり気に留められてこなかったユーザーたちのことである。正規分布の真ん中にいて、メイン・ターゲットとなっている多くのユーザー(例えば、右利きの人)にとっては便利な製品であっても、そこから外れた少数の人々(例えば、左利きの人)にとっては、使い勝手の悪いデザインであったりする。そのような見えないユーザーを製品やサービスの開発過程に巻き込むことで、その不釣り合いを解消しようとする試みが、インクルーシブデザインである。

  
 また、シンシア・スミス(Smith, S.E.)氏の執筆した『世界を変えるデザイン』も、これまで排除されてきた人々をターゲットに含めたデザインの必要性を説いているという意味では、インクルーシブデザインについて書かれた本だといえる。同書の原題は『Design for the other 90%』であり、このタイトルからは、従来のデザインが主に先進国の一部のユーザーのみ(世界人口の10%)をターゲットとし、それ以外のユーザー(世界人口の90%)のことはあまり考慮に入れてこなかったことへの反省と、今後に向けた問題提起が窺える[注2]。この残りの90%の人々を視野に入れ、彼らの生活を改善するような、シンプルではあるが考え抜かれたデザインの必要性を訴え、そのような視点から作られたデザインを集めたのが本書である。つまり、われわれの身の回りにあふれる「もの」とは少し異なる、世界を変えるための「もの」がそこには集められているのである。

  
 なお、このインクルーシブデザインと似た概念に、「ユニバーサルデザイン(universal design)」がある。ユニバーサルデザインとは、「可能な限りすべての人々に、デザイン上の特別な変更や適応をすることなく使用を可能とするプロダクトと住環境のデザイン」のことで(Cassim,2014)、こちらの方がより古い概念である。その概念は、1980年代の米国で誕生した。それに対して、インクルーシブデザインは、ユニバーサルデザイン活動の新しい動きとして1990年代の英国で生まれた。両者の関係について、ジュリア・カセム(Cassim, J. )氏は、「理念は同じであるが、アプローチが異なる」と述べている(Cassim,平井, 塩瀬, 森下,2014)。

 
 より具体的に見ていくと、両者の間で共有された理念とは、「デザインとは排除ではなくインクルージョンのための道具である」、「デザインとは社会と環境に対して責任を負っている」などである。その一方で、異なるアプローチとは、以下のようなものである。まず、インクルーシブデザインとは「仮説生成型プロセス」であり、課題を発見し、仮説を作るのに向いている。それに対し、ユニバーサルデザインとは「仮説検証型プロセス」であり、7つの原則(①どんな人でも公平に使えること、②使う上での柔軟性があること、③使い方が簡単で自明であること、④必要な情報がすぐに分かること、⑤簡単なミスが危険につながらないこと、⑥身体への過度な負担を必要としないこと、⑦利用のための十分な大きさと空間が確保されていること)によってデザインを検証するのに向いている。

  さらに上記以外にも、近年では、「デザインとは排除ではなくインクルージョンのための道具である」という理念を起点に、「オープンデザイン(open design) 」や「コ・デザイン(co-design)」などの新たな概念が生まれつつある。前者は、インターネットなどを通じた多様なユーザーの参加と共創によるデザインことであり(van Abel, Evers, Klaassen and Troxler,2011)、後者は、プロのデザイナーではない実際の利用者や利害関係者たちがプロジェクトに積極的に関わりながら、デザインを行っていく取り組みのことである(上平,2020)。両者は共に、デザインはもはやデザイナーだけのものではなく、非デザイナーの主体的な関わりの中で作られていくものであるとの視点に立っており、いわば「デザインの民主化」を謳ったものである。

 
 ただし、これらの概念は、デザイナーや企業が主体的な役割を果たすことを前提にしたインクルーシブデザインやデザイン思考などとは異なり、ユーザーの積極的な関与を促すものであり、その意味ではむしろ、von Hippel (2005)のいうユーザーイノベーションに近い概念といえるかもしれない(ユーザーイノベーションの詳細については、本編⑥を参照のこと)。


 [注1] 井坂氏は、このインクルーシブデザインを「英国生まれのデザイン思考」と捉えている。

[注2] なお、この本が出版されたのは2007年であり、現在と少し状況が異なるかもしれない。そのことを考慮に入れておく必要がある。

 

●参考文献
Cassim, J. (2014),平井康之監修、ホートン・秋穂訳『「インクルーシブデザイ 
 ン」という発想:排除しないプロセスのデザイン』フィルムアート社。Cassim, J. ・平井康之・塩瀬隆之・森下静香編集(2014)『インクルーシブデザ 
 イン: 社会の課題を解決する参加型デザイン』学芸出版社。
Holmes, K.(2018), Mismatch: How Inclusion Shapes Design. MIT Press. (大野 
 千鶴訳『ミスマッチ:見えないユーザーを排除しないインクルーシブなデ 
 ザインへ』BNN新社、2019)
井坂智博(2019)『インクルーシブデザイン』日経BP。
上平崇仁(2020)『コ・デザイン:デザインすることをみんなの手に』NTT出
 版。
Smith, S.E.(2007),Design for the other 90%. Cooper-Hewitt Museum of; ND
 Marginalized(槌屋詩野 監修、北村陽子訳『世界を変えるデザイン:ものづ 
 くりには夢がある』英治出版、2009)
van Abel, B.,  L. Evers, R. Klaassen and P. Troxler. (2011), Open Design: Why
 Design Cannot Remain Exclusive. Bis Pub. (田中浩監訳『オープンデザイ
 ン:参加と共創から生まれる「つくりかたの未来」』オライリー・ジャパ
 ン、2013)
von Hippel, E. (2005), Democratizing innovation. MIT Press. (サイコム・インタ 
 ーナショナル訳『民主化するイノベーションの時代』ファーストプレ
 ス、2005)

 

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