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ハイゼ家百年 感想/一次資料で語られること、語られないこと

overall

19世紀末以降、ある一家に遺品として残された手紙、写真、履歴書の下書き、作文など、一次資料のみで構成されたドキュメンタリー。ナレーター(監督)は淡々と資料を読み上げるのみで、映し出されるのは写真に加えて現代のドイツの映像。そこには解釈や説明は一切なく、見る側は提示されたものと、頭の中の歴史知識などを突合せて、この一家になにが起きているのか、ドイツになにが起きているのかを推理していくしかない。
そんな、まるで歴史学者のような気分が味わえる作品です。

第1章

第1章はWW1⇒世界恐慌⇒WW2を、ドイツ人と混血婚してベルリンに住むユダヤ人女性(監督の父方祖母)へ宛てられた手紙を中心に振り返る章でした。監督の父方祖父から父方祖母に送られた、「旅先であなたの兄弟と友達になったので、良かったら会いませんか?」という若さと希望にあふれる手紙は、この映画の序章になんともふさわしい。結婚を決めた二人への、両親の手紙など、ほほえましい雰囲気は、子供が生まれて10年後くらい、混血婚(アーリア人とユダヤ人の結婚のことをこういったようです)を咎めたてられ、早期退職へ追い込まれた監督の祖父が文科省の大臣へ送った手紙で一変します。この手紙は非常に混乱した状態で、急いで書かれたようで、頻繁に訂正がみられるのですが、その語句の選び方がなんとも。ナレーションも、訂正前と訂正後を被せるように読み上げるため、不穏さが全開になっています。その後、監督の祖母は収容所には入れられなかったものの、人前には出ることができず、ウィーンに住む監督祖母の親族たちは次々と収容所へ。
終盤では監督の父ヴォルフガングとその弟も、逮捕され収容所へ送られます。こちらの収容所はどちらかというと、航空機整備などの戦争産業への従事を目的としたもののようでした。ヴォルフガングとその弟は、家への手紙で繰り返し、有事の際は最善の行動ができますように、と書きます。ここでなんか、日本の災害時のニュースで「命を守る行動を」とくりかえすニュースキャスターが思い浮かびました。私はこの放送を聞くたびに、なんだか無責任だなあと感じてしまうのですが、まさに、政府や行政から守ってもらえない状態であった彼らがそう思ったのは、自然なことなのかもしれません。

第2章

第2章は戦後、東独で青春時代を送る恋愛面では奔放、政治面では熱心な共産主義である女性(監督の母)の日記や手紙から恋愛模様、当時の価値観などを探る章。正直、ドイツ激動の100年なので、どの章をとってもめちゃくちゃ面白いんですが、個人的にこの章が一番好きです。
東独に残った監督の母ロージーと、西独で法律の勉強をする恋人ウドの恋愛模様が結構泥沼で、政治的な議論をしている途中で浮気をしたことへの嫌味が書いてあったり、かと思うとそのすぐ後に送られた電報でプロポーズされていたり。一次資料って、面白い、と思わせられるような手紙のやり取り、でした。途中ロージーが浮気をする相手がスラブ系の貿易関係の人で、そこまで好きじゃないんだけど、何かあったときに役に立ちそうだなあ(むしろ下手に怒らせるとやばそう)と判断してあいまいな感じで付き合ったりとか、当時の東独の気が抜けない生活を表していると思います。監督の父は結構後のほうに出てきて、とんとんと結婚まで行ったようですが、ウドからの手紙で最初のほうに触れられていた、「ユダヤ人のハーフのことを考えているんでしょうね」みたいな感じの嫌味っぽいせりふのユダヤ人のハーフは、監督の父の事ではなかったんだろうか。あれだけ民主主義と共産主義について言葉を尽くして議論していたウドとロージーがなんだかんだと結婚できなかったのに対して、明らかに共産主義ではない(が、WW2の経験から注意深くそれを隠していたのであろう)監督の父ヴォルフガングとロージーが出会ってすぐあっさりと結婚してしまうのも、なんとも”現実”という感じがします。
あと、途中、おそらく性行為中に撮ったんだろうなーというようなロージーのヌード写真が出てくるのですが、乳がんの手術をしている……?左乳房が無いように見えました。この映画での写真を提示方法、端からはじまって、意味ありげな部分を最後にうつす、という手法が採られているので、次の画面に映ってから、もう一回今の写真見せてくれ!!!、と何度思ったことか。

第3章

第3章は社会主義下でうまく潮流に乗れない(自分を偽れない)哲学者である監督の父(ヴォルフガング)が、おそらくノイローゼという診断を受けて療養所で過ごしたこと、シュタージ(ドイツ民主共和国(東ドイツ)の秘密警察・諜報機関を統括する省庁)の作成した一家に関する諜報記録、監督と監督の兄の幼いころ、などのことが語られます。
「グッバイレーニン!」(https://www.hermes.com/jp/ja/story/maison-ginza/studio/140802/)から始まり「僕たちは希望という名の列車に乗った」(https://www.albatros-film.com/movie/bokutachi-kibou-movie/info/top)「ある画家の数奇な運命」(https://www.neverlookaway-movie.jp/)と、ドイツ民主共和国についての話が好きなので、この部分も丁寧に書いてくれて嬉しい。それにしても、諜報記録が残っていて、そして諜報された側が手に入れられるような形で公開されているのが驚きでした。
やっぱり、都合の悪い公文書を即シュレッダーにかけてしまうような国ってかなりのところ終わってるんだな……、とつくづく。

第4章

第4章ではいよいよ、監督個人の青春時代にまつわる資料が増えていきます。が、、、ここで浮かび上がってくるのが、ハイゼ家における父、ヴォルフガングの圧倒的不在感。この映画では、高名な哲学者であった彼の言葉は友人であるハイナー・ミュラー(ハムレット・マシーンの作者)との対話を除いて一切なく、ヴォルフガングの内面が空洞なまま進んでいきます。ちょっと面白いな、って思ったのは、(3章か4章か記憶があいまいなんですが)ヴォフルガングの大学での孤立を表す同僚の手記も、ヴォルフガングが実際何を考えているのかわからない。本当に共産主義者なのか不明である、と、ヴォルフガングの内面の不表出を嘆くような調子になっているのです。
息子から見ても、同僚から見ても、何を考えているのかわからない。そんな人だったことを示すように、ヴォフルガングの写真は他の家族とは異なり証明写真が使われていました。
第1章に出てくるヴォルフガングと第4章のヴォルフガングはなんだか別人のようにも思えてしまうほど。私が不勉強ため知らなかったんですが、高名な哲学者のようなので、自分の内面に関する記述がゼロな訳はないと思うのですが……。
息子からみたのとは対照的に、妻ロージーが友人に宛てた手紙の中では、「自分が密告しろと言われたら素直に拒否の意を伝えるよ」と言ってのけるヴォルフガングの姿が描かれています。さもありなん、という感じですが、この章の途中でヴォルフガングには愛人がいたことが示唆されます。

第5章

第5章は一番難しかった……、自分の知識不足が主な原因と思われます。朝鮮戦争とからへんの知識が皆無に等しいので。
ミュラーの詩が出てきたりするんですが、ベルリンの壁崩壊後の東独・東欧諸国の国民が、夢見ていていた民主主義・資本主義の恩恵を受けることができず、かえって資本主義の食い物にされてしまったことなどが表されてるのかなあ、と。貧しさはまたナショナリズムを生み、現在の映像の方で、ドイツの駅ホームで売られていた、「ドイツ語を話さないものは出ていけ!」とヘイトが書かれた新聞が印象的でした。
これは経済学を全く学んでいない人間の勝手な意見なんですが、国が貧しくなった時に極端なナショナリズムに向かってしまうのはなんでなんですかね?不況になったときは生産・消費の好循環に戻すためにも移民を受け入れるのがよいことなのでは?と思うのですが。
監督の母は、共産主義体制の崩壊をなかなか受け入れられず、ファシズムと共産主義を同一視した論評を書いた彼女の友人へ、苦情の手紙を送っています。壁崩壊前、監督とその兄が従軍(多分朝鮮戦争かな)するシーンがあるんですが、彼らは何故軍隊に入ったんでしょうかね。全員入るような感じだったのか、それとも監視されている状態で、一家の立場がこれ以上悪くならないように模範的な青年を演じたんだろうか。

語られなかったこと

たくさんの情報が与えられる一方で、一次資料のみの提示、という制約上、語られなかったことも多かったような気がします。ほぼすべての手紙は一方通行で、ある手紙へ、どのように返信が送られたか、私たちが知ることはありません。特に、もうなくなってしまった人たち──監督の父、祖母が、社会情勢や家庭内のことをどのように感じ、考えていたかについて、残された人は推測するしかありません。一回ではまだわからない部分も多いので、公開期間中にもう一回見たいし、円盤も出してほしいと思うような作品でした。
ただ3時間半以上あるので腰は死にます。


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