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読書録 「坂本廣子の台所育児 一歳から包丁を」(本編 その2)

 この記事でこの本の紹介は完結になります。

 1つの記事で書き終わる予定だったのに、3回にも分かれてしまうとは…

 さて、前回の記事の続きで印象に残った&私が台所育児をおすすめしたいなと思った文章をご紹介します。


◎ひたすら見守るべし

 『子どもが早くから台所育児をするようになれば、お母さんはさぞや楽になるだろうと思われるかもしれません。でも、実際には子育て全般に手がかからなくなる小学校高学年くらいまでは、台所育児もガマンガマンの連続。
 初めて幼稚園で子ども料理教室を開き、始める前に先生たちにお願いしたのは、「とにかく手を出すのは最低限にして、子どもをとめるのはほんとうに危ないときだけにしてください。」ということでした。
 子どもにとってはひとつひとつが新しい発見なのです。そうやって口出しされずにやるうちに、子どもはいろいろなことを学んでいくのです。』


 これ、本当にむずかしいですよね…。
 私は息子に、卵を割ったり、野菜を洗ったり、鍋で茹でたり炒めたり、という作業はやらせています。でも、包丁をひとりで使わせるのはまだ怖くて、一緒に握って切っています。
 ちょっとずつ、ひとりでやらせることを増やしていきたいなと思います。


◎台所にいる「ムダ」な時間が欲しい

 『親と子のゆっくりした時間、そして自分の作った食事をいっしょに食べる機会は、そんなに長くないし、回数も少ないのです。
 とくに食べる文化は、毎日のたかが食事されど食事で、そのときに具体的に食べて舌の記憶に残してゆくのが伝えることになります。その時に、ただ出てくるだけではとちゅうのプロセスが見えなくて、それを作っている親の背も見えずに育ってゆくことになってしまいます。』


 この本の紹介の前置き編でも書きましたが、私はごはんが自動的に出てくるものと思って欲しくない、と思っています。
 家での食事は、ただ空腹を満たすだけのものではなく、何(材料)でできているのか、どうやってこの形になったのか。それを知って食べるのと知らないで食べるのとでは、食事の感じ方が全然違うと思います。
 あと何年続けられるか?は今はわかりませんが、息子と一緒にキッチンに立つ時間を大切にしていきたいと思います。


◎いま出しているものが「おふくろの味」になってしまう

 『「おふくろの味」=「いもの煮っころがし」と答える人は、きっと小さいときに、小いもの煮物をなんどもなんども思いっきり食べた人。いちどもいもの煮っころがしを食べたことのない子どもがそれを「おふくろの味」と思えるはずがありません。だって、もどるべき味の原点がないんですから、もどりようがない。
 だから、いま、毎日、作っているごはんが親がいそがしかろうがなんだろうが、子どもの舌の記憶、なかでもなつかしいと思う味の記憶の基礎を作っているのです。』


 私のおふくろの味は祖母が作るごはんです。共働きだった両親に代わり、平日は祖母が毎日作ってくれていました。祖母は料理が上手な人で、なかでも私が好きだったのは、食卓に大鍋でドンと置かれる日替わりの煮物。味が程よく染みていて、くたくたになった野菜と白米の組み合わせは最高で、何杯でも食べられました。
 大学生になって一人暮らしをするようになって、帰省する時には煮物をよくリクエストしていました。
 こう考えると、おふくろの味って何か特別で豪華なメニューじゃなくて、毎日食べても飽きない、胃にやさしい、そんな料理なんだなって思いました。


 これで、この本の紹介は終わります。

 本の後半には、小さいお子さんと一緒に作れるレシピがたくさん載っているので、興味のある方はぜひ読んでみてください。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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