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謙虚がポジティブワードになる日

謙虚
つつましく控えめなさま。
おごりたかぶらず素直なさま。

広辞苑

謙虚になりなさい。

この言葉を投げかけられた時、あなたはどう思いますか。

この謙虚という言葉が使用される時に遭遇する時、とても残念に思う時があります。

それは、必要以上に相手を我慢させて、控えめになりなさいと、抑圧のために使用し、自分の都合よく相手をコントロールしようとしているなと感じる時です。

謙虚って、どこを基準にしたらいいのか?

例えば、自分の力を実際の等身大以上に、自分のことを大きく見てしまっている時。基準が自分よりも上にハードル設定しているのであれば、謙虚という態度によって、もっとできる、もっとこう改善できる。と、次への行動のための、土台として大いに活用することができます。

それは、謙虚になることを目的にしているのではなく、自分自身を素直に等身大に見て、自分の等身大と他者や社会とを照らし合わせた時に、自分をより良くしていくための学びを最大化させるために、結果的に自分の足りない所を自覚できるための態度謙虚だと考えると、とても謙虚という言葉がポジティブに聞こえてきます。

誰かに言われるよりも、自分で使う言葉

他人を見ていて、謙虚にした方がいいよという言葉を投げかけるのは、割とハードルの高いことです。なぜならば、相手が自覚しているハードルと、実際のハードルを見極めることができると共に、そこに乖離があったとして、その相手が快くそれを聞き入れてくれるかどうかわからない上に、それを伝える目的がお互いに一致してるかどうかわからないからです。

その辺りを整理しないままに、他人に使用してしまう人もいますが、そうなると逆効果になることも多いので、それこそつつしみながら一旦控え、その目的が合致する時に、意を決して伝えるのがいいでしょう。

ただ、僕はそもそも謙虚という言葉は、他人ではなく自分自身に使用するべきだと考えています。自分と常に等身大のものとして知ろうと試み続けること。それ自身が謙虚態度であるし、それを真摯に続けようと思うと、自分のことを知るために、社会と接し続けたり、自らを省みたり、社会を平らに見たりと、結果的に自己と他者、社会とを意識的に行き来し、そして実践へと繋げていくことによって、結果的に様々な資質が向上するための場所に立つことができるようになるからです。

そうしてくると、結果的にもっと良くなりたいという想いから学びを深め、そうするとまた新たな課題が表出し、それを自覚し、より学ぶと。よりよいスパイラルになっていきます。

それがポジティブな謙虚だと感じています。

3年前の記事で【真面目】であることの素晴らしさについて書きましたが、これもどうように、他人ではなく自分に投げかける言葉としての素晴らしさを紹介しました。

動詞的に使うのではなく、態度や、自分自身の【在り方】として使用することで、より自分の美意識を洗練できるように生きていきたいと。そのように思います。

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