勉強することの意味
最近、「手紙屋 蛍雪篇 ~私の受験勉強を変えた十通の手紙~」という本を読みました。
何のために勉強するんだろう?何のために大学に行くんだろう?
そんな若者たちの問いかけに対し、著者が様々なメッセージを伝えてくれています。
以下にその一部をご紹介いたします。
1.勉強も一つの道具に過ぎない
著者はまず「勉強も一つの道具に過ぎない」と言います。
ナイフやコンピュータと同じで、使い方次第で、私たちを助けてくれるものでもあり、人を傷つけてしまう可能性もあります。
勉強の便利さを説く人はいても、その危険性を説く人はあまりいません。
勉強ができるようになったことで、偉そうになったり、誰かの批判のために使ったり、自国の文化を勉強して他国の文化を否定するようになったり、化学を勉強して有害なものを作り出したりすることもできます。
変な使い方しかできないなら、勉強なんて道具は捨ててしまった方が良いのかもしれません。
2.勉強は「自分を磨くため」にある
その上で著者は、勉強は「自分を磨くためにある」と言います。
勉強がもたらすのは知識だけではありません。
壁にぶつかった時に乗り越えるための忍耐力、成功体験から得られる自分への自信、脳を鍛えたことで得られる記憶力や判断力などがあります。
ピアノを習ったことのある人と習ったことのない人が、ある日、同じ曲を練習し始めても差ができてしまうように、将来何かの問題にぶつかった時、これまでの訓練量の違いが、とっさの実力の違いとなって表れます。
また、人は一生勉強する必要があるものです。勉強というのは学校の教科に限りません。社会に出ると学校とは別の勉強を、むしろ今まで以上にする必要があります。
その時のための地力を、学校の勉強で身につけているとも言えます。
単に「大学に合格するため」と考えると、勉強の意味が分からなくなってしまいます。
3.勉強は「人の役に立つため」にある
また、著者は勉強は「人の役に立つためにある」とも言っています。
山の地面に一本の朽ち木が転がっているのを見た時、その朽ち木の「存在する意味」を見つけるのは難しいかもしれません。
でも、その木を加工して額縁にしたり、割り箸にしたり、火を起こすための薪にすることで、その木に「意味」が生まれます。
人間も同じです。最初は一本の木のようなもの。それを自分で磨いて削って加工し、何かのお役に立てた時、はじめて自分の「存在する意味」を自覚できます。
そうやって自分を加工するために、勉強というものがあります。
親から「頑張って勉強しなさいよ、困るのはあなたなんだから」と言われると、反発してしまうかもしれません。
でも「他の人たちが困るんだよ」と言われたらいかがでしょうか。
人は皆、助け合って生きるもの。
今、自分が勉強することで忍耐力や記憶力、判断力を鍛えておく。知識を蓄えておく。
そういったことが将来、自分が関わるいろんな人たちを助けることになる。
その結果、今の自分のままでいたよりも、もっと「あなたのおかげで助かった」「あなたに出会えて良かった」と思ってもらえるかもしれない。
そうした時、あなた自身もより強く、自分の生きる意味を感じることができるのではないでしょうか。
勉強は自分を磨き、人の役に立つためにある。
学生の方に、ぜひおすすめの一冊です。
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