当時は当たり前ではなかった ~「昭和史」を読んで感じたこと~
最近、半藤一利氏の「昭和史 1926-1945」(平凡社ライブラリー)を読んでいます。
「張作霖爆殺事件」「満州事変」「二・二六事件」・・・学校の歴史の授業では、これらは暗記のための単語に過ぎませんでした。
それらが「この事件が起きたから、その後こういった影響が現れ、次にこんな展開が出てきた」という一連の物語として描かれているため、とても分かりやすいです。
読んでいると「当時の日本人も今の私たちもあまり変わらないな」ということを感じます。だからこそ、なぜ戦争が起きてしまったのか、当時の人の心や物事の流れを知る意味は大きいと思いました。
政府の中にも軍の中にも強硬派と良識派がいて、激しい綱引きが繰り広げられました。
また、売上のために刺激的な報道に走るメディアがあり、それに流されてしまう人々がいました。
何度も引き返すポイントはあったはずなのに、事態は戦争へと向かっていくことになりました。
若い方々も含め、多くの方が亡くなられました。生きていたらやりたかったこと、会いたかった人、たくさんあっただろうと思います。
それから七十数年が経った今、こうしてnoteを書いている私の手元には、スマホがあり、チョコレート菓子があり、そして目の前にはパソコンがあります。
自由に物を思い、文章を書いて発信することができます。
テレビで半沢直樹を見たり、Youtubeで面白動画を見たりすることもできます。知りたいことがあれば何でもGoogleで調べることもできます。
今は当たり前であっても、当時は当たり前のことではありませんでした。
自由が与えられている、その感謝をエネルギーに変えて、今、やれることをやっていきたいと思います。
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