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音声インタフェイスを使うと性格が悪くなる?件

先日、興味深い記事をみかけた。

<音声インターフェースをつかうと性格が悪くなる?/mirkaさん>

これ、なんとなくわかるんだけど、音声インタフェイスに限らない気もしてて、ちょっと考えていたんだけど、こういう事なんだと思う。

期待値に対して著しく結果が伴わない時に気性が荒くなる

ここで言う”期待値”とは

この期待値は、普段から「これぐらいの動きはしっかりこなすだろう」という各個人の基準から生まれるもの、としておきます。

これが、うまく行っているうちはいいんだけど、割とスキルが期待通りにうごかなくて、ギャップが生まれたときに、イラっとするんだと思う。

そして、このギャップが大きいほど、イラつきは大きい。

たとえば、私が普段使っている 少し動きが遅いAndroid 携帯電話で操作をするときは、「こんなもんだ」という感覚・体験があるから、まだ待てるけれども、我が家でスラスラうごいているiPhoneがもたつくとすっごいイライラする。

私の場合は、「iPhone=快適に動く」という体験が刷り込まれているからなんでしょう。

んでもって、(私の話ばかりで恐縮ですが)iOSのアップデートをしたiPhone6+の文字入力がとっても重たくなったり、画面遷移がもさっとするようになって、すごいイライラ。これも、購入時の感動を覚えてしまっているが故に、期待値とのギャップがすごい出来てしまったってことなんでしょう。

「音声の場合は…」

おそらく、音声の場合に性格が悪くなるのは、

【考える】→【行動に起こす】

この「行動におこす」場合の敷居が低いからでしょう。たとえば、リモコンで操作する、なんていう場合は、「自分がそこまで行って、リモコンをとって、操作する」っていう動作を伴う行動があるわけですが、(腰が軽い・重いの程度はあるにせよ)それなりの行動力が必要です。

しかし、音声の場合はその敷居がとっても低い。(口だけの人…なんてケースもありますが、行動に起こすより言うほうが簡単ってことですね。)

行動=ストレスだとすると、口で指示するのは「ただでさえそのストレスを受けたくない」環境にあるのに、うまく動かないストレスをうけるわけです。

結局のところ、

手段によって「ストレス」耐性が下がる?

ってことなんじゃないかな。

まとめ

・おおらかな気持ちでコミュニケーションしましょ。きっと、これでイラつく人は、対人コミュニケーションがうまく行かないケースにおいては怒りっぽくなる人なんだと思う。

・特に他に対して期待しすぎる傾向があるのかもしれない!?

さて、実際の所は・・・どうなんでしょう(^^;

開発したり研究したりするのに時間と費用がとてもかかるので、頂いたお気持ちはその費用に補填させていただきます。