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言いまつがい。

 私が中学3年生のときの日直当番(拙著『変光星──ある自閉症者の少女期の回想』pp.286-289)のとき、窓も“全部”閉めて照明も全部消してから教室を出たはずなのに、翌日の朝、なぜか“窓も全部開けっ放し、明かりも全部点けっぱなし”として濡れ衣をおっ被せられて先生から注意され、クラスメートたちの面前で立たされた。
 私は先生に、窓も“全部”閉めたし明かりも全部消した筈だという意味のことを言ったのだが、後でよく考えてみたら、その供述は不正確だった。
 というのも、前日の放課後の教室では男子生徒たちが十数名、あたかも窓際に一列になって窓に被さるように並んで座っていたので、正確には、窓を全部閉めることができなかった。
 それで、安全に閉めることのできる窓だけを閉めて(無理に閉めると、暴力等を受ける可能性があったので)、それでもって“全部”窓を閉めたつもりになっていた。
 だから、先生から立たされていきなり詰問されたとき、そのことについて即座に言語化できず、それで不正確な供述になってしまった。
 あのとき、わたしは、「閉めることのできる窓については、全部閉めました」と言うべきだった。
 私にとって、窓を「全部閉めた」のは嘘ではないのだが、それは、閉めることの可能な窓に限ってのことだった。
 でも現実には、閉めることができない窓があったのだから、「全部閉めた」というのは、嘘だった。

 私はこのことに、ほんのつい最近になって気が付いた。
 だから手記の記述も、そこのところが不正確ということになる。
 だからわたしは読者のかたがたに、不正確な記述をしたことで、謝らなければいけない。
 どうかこの記事を以て補足としていただけるとありがたいです。

 これが、学校のホームルームだから些か不正確な供述でも当時は何とか許されたのだと思うが、もしこれが例えば裁判の供述だと著しく不利になる。尋ねられたことを、すぐに言語化できないのだから。

 同様の困難は、高校時代にかかった心理カウンセリング(拙著『平行線──ある自閉症者の青年期の回想』pp.79-91)のときにも直面した。
 当時、つまり1970年代後半あたりと今とでは、カウンセリングの手法が違うかもしれないのだが、当時の心理カウンセリングは、カウンセラーたちによる質問(その実態は問い詰めと決め付けと揚げ足取りとジャッジと攻撃)から成り立っていた。
 それで、質問に答えることの苦手なわたしは、矢継ぎ早に発せられる質問にうまく対応することができないで、不正確かつ不適切な答えをしてしまい、そこをまたカウンセラーたちに突っ込まれて、場が険悪になったこともあった。

 その後も不登校支援者とのやり取りで困ったことが生じた。
 私はその団体の不祥事について問い合わせを試みていたところだったのだが、なぜか逆にその団体の元関係者から電話で問い詰められる羽目になった。(拙著『自閉女(ジヘジョ)の冒険──モンスター支援者たちとの遭遇と別れ』pp.119-124)
 その元関係者の人は、わたしがその団体についてどう思うのか、その団体について許しているのかなどということについて、電話でなんと延々と3時間にもわたって問い詰めてきた。
 それで、質問に答えることと、電話が苦手で、集中力と体力が持続しない私は、複雑な内容の質問にうまく答えることができないまま、誘導尋問に乗せられて、意に反して、わたしはその団体のことを“許した”ことにさせられてしまった。

 これらとは逆に、質問されても答えるのが比較的楽だったのは、映像記憶に基づく供述。(『平行線』pp.167-169)
 これは、自分の意見や考えではなく、単に見たまま、ありのままを正確に答えればよかった。
 しかしそうではあっても、事件を目撃したことから来る心理的負担はかなりのものだったから、もし、もう少し私の障害が重かったら、警察が来たときも、殆ど語ることができなかったと思う。

 つい最近も、ある著名な支援者のかたとお話していた際に、突然、「何か困っていることはありますか?」と訊かれて、殆ど答えることができなかったことがある。

 その他、いきなり質問されてその答えがまるでダメダメなことについては、『自閉女(ジヘジョ)の冒険』p.175にも書いた。

 要するに、私のようなコミュニケーションの不自由な者は、《言葉のインプロビゼーション演奏》が苦手ということ。
 嘘を言うつもりはなくても、突然質問されると正確さを欠いた供述になるということ。
 簡単に言えば、言い間違えるということ。

 だから、こういう事例↓があると、とても人ごとではないと思ってしまう。
 このように、供述に困難がある人のことが、世の中にもっと知られていくようになればいいと思う。◆
(2023.8.8)

 供述弱者とは、相手の言葉を理解する能力や語学力が乏しいため、自分の思いや意見をうまく表現できず、結果的に取り調べや裁判で自分を守ることができない人を指す。知的障害者や発達障害者が当てはまるケースが多く、取り調べで自白を強要されたり、誘導されて噓の自白をしてしまい、冤罪を生む恐れもある。

(同記事より引用)

また、『自閉症の画家が世界に羽ばたくまで 亡き母の想いを継いだ苦闘の子育て』石村和徳 他、p.196より引用↓

 世界じゅうで、知的障がい者への無理解から誤認逮捕する冤罪事件が数多く起きています。知的障がい者は受け答えが苦手でパニックに陥る人もいて、わけもわからないまま返事をしたところ、犯罪を認めたことにされてしまうというケースがあるようです。健常者でも、唐突に犯罪を疑われたらパニックに陥らないほうが難しい。知的障がい者なら、あっという間に相手のペースに巻き込まれてしまうでしょう。

#障害者 #発達障害 #知的障害 #自閉症 #供述弱者 #ASD


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