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ロックダウンでの自主隔離を経て気づいた家族の大切さ

ドイツはロックダウンが厳しくなり、更に1月末まで延長となった。

仕事は引き続きリモートで保育園も閉まっており、家に二歳の子どももいて条件が揃っているため仕事を休んで給付金をもらうことも可能ではあるけれど、仕事は諦めたくなかった。

とはいえ2歳の子供を家に置いて外にも行けない状態で博士論文を書きながら二人ともこれまで通りに一日中仕事を続けると言うのはどう考えても難しいことだった。

夫の両親はハレから80キロほど離れた街でホテル経営をしているためロックダウンの影響を受けホテルを閉めざるを得なかった。つまり二人はいま孫の面倒を見る時間があるとのこと。向こう方から喜んで提案してくれた。

夫はすでに3月からリモートワークのみなのでどこでも仕事ができる状態。反して私はリモートワーク中心ではあるけれどピアノのレッスンをしているのでピアノが必要となる。話し合った私たち夫婦は、12月に2週間、そして1月に入ってからまた1週間と、離れ離れに暮らすことにした。そうすれば娘も人の少ない街で外の空気をいっぱい吸って大好きな祖父母と一日中遊べるし、そうすることが娘にとっても1番幸せで私たち夫婦も仕事を続けられる最善の方法だと思ったからだ。私も娘を出産してから2年と少し、まとまって自分の時間と言うものはなかなか取れていなかったので、博論やその他のプロジェクトにこの時間を充てようと思った。

そうして、家族離れ離れの生活が始まった。

そして1月の一週目、ロックダウンが月末まで延長することが決まった。その時に夫と電話し、夫達もたぶん1月末までは週末だけハレに戻ると言う生活をせざるをえないね、と言う話になった。

私の方は1月の頭に娘たちが再度ハレを離れてから、心にぽっかり穴が空いたような感じになっていた。食欲がなく、朝起きたときに今日一日生きる目的や希望が感じられず何をしていても楽しくなく常に不幸感のようなものが付きまとった。それでもあと1週間、と思っていた時に、再度のロックダウン延長が決まったため、2日目からはその感覚がより一層強くなった。

テクノロジーが発達した今、私たちは世界のどこにいてもテレビ電話などで人と「つながる」ことができる。でも本当の意味で、つながるとは何なのか。12月にテレビ電話越しに「ママ、抱っこ」といった娘を見て涙が止まらなくなったことがあった。今回も祖父母のところにいる娘とテレビ電話をしながら画面越しに見ている娘に触れられず抱っこもできない無力感を感じた。

去年友人はるかの書いたショート漫画がたくさんの人の共感を呼んだけれど、(ちなみにその人気漫画がこちら)まさに世界の解像度も一気に下がってしまった感じだった。

このままではいけないと思った。

仕事への責任感を感じていてこれによって仕事に支障をきたす事はしたくないと思っていたが、今はそれよりも家族と一緒にいたい。いざとなれば私がこの期間の仕事は諦めるし、大学やピアノの生徒さんにも話して娘の面倒を見る。だから、残りのロックダウン期間は3人で一緒にハレで頑張っていこうと夫に話した。


そして、昨日。

12月の二週間自主隔離後の、二週間の共同生活を経たあとの再度の自主隔離で離れていた家族に、5日ぶりに会った。

それこそ水を得た魚のように、生き返った。

どれだけあなたに会いたかったかと、話した。話しながら、急に涙が止まらなくなった。最初は私がいつものように泣き真似遊びをしていると思って「Mama aber weinet sehr♪」(ママは号泣してるー♪というドイツのお歌の歌詞の一部)を歌い出した娘も、私が本当に泣いているのを見てびっくりして見ていた。

そして私の方へ寄ってきて、泣き続ける私の頭を撫でてくれた。そして体の上に乗ってきて、抱きしめてくれた。

断乳したときにも言葉や雰囲気を察してくれる娘には感動したけど、今回も改めて、娘の優しさに感激した出来事だった。

まだ小さいけれど、心は海のように広く大きい。

あなたは、存在しているだけで価値がある。

本当にありがとう。

今日も目が覚めた瞬間、まだ半分夢の中にいて寝ぼけていて、あれ、誰が隣で寝ているんだろう、と思い、現実に戻った瞬間の幸せ。

かつて音楽に心の拠り所を見つけていた私の心の拠り所は、今やこの小さい家族なんだと気づいた。

すべてをかけてでも今はこの家族を守りたい、と感じている。

今日は雪の日。

今日は一緒に雪で遊ぼうね。


今回の件でわかったこと。

今の私にとっての家族と言う存在の大きさ。

10年間一人暮らしをしていた私にとって、家族から離れて一ヶ月間に満たないうちに心が崩壊しそうになった事は正直意外だったが、娘という存在は何物にも変えられないという当たり前のような事実に再度気づかされた。娘と離れて暮らすという選択肢は、これから先娘がある程度大きくなるまではもう取らないだろう。

覚悟を決めたからには頑張ろう。と、完璧主義で頑張り屋さんなあなたもつい自分を強く保とうとしがちではないだろうか。心が崩れる前に早くに心や体の発するシグナルに気づいて修正していくことの大切さを私は学んだ。

それは決して逃げではないと信じている。

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