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映画『モルエラニの霧の中』を観て。

『モルエラニの霧の中』

“モルエラニ”とはアイヌ語で、「小さな坂道をおりた所」という意味だそうです。
私のふるさと、室蘭の語源にもなっています。
その名の通り、室蘭は坂の多い街です。
わたしの住んでいた地域も坂、というか山の上にあって、登る途中には室蘭全体を見渡すことができます。

“霧の中”
室蘭はよく霧がかかります。理由は小学校のときに習いましたが、海と山に挟まれてるからだったかな?
その山の途中の坂からは、
海から真っ白な霧が覆いかぶさってくるのが見えます。
広い空。広い海。
この言葉の意味をいちばん知っているのはわたしたちではないかと思うくらい。

海というのはなぜあんなに切ないのでしょう。
母なる海とよく表現されますね。
包み込まれるような感覚が母のよう、ということでしょうか。

海に行くと誰もが言葉をなくします。
素っ裸のような気持ちになる。
誰かと海に行ったら、言葉を交わさなくても通じ合ったような気持ちになります。

ふたりきりで、海を見ながら朝日が登っていくのをじっとみていることができたら、その人とはもう一生添い遂げられるような気がしませんか。

わたしは、この感覚が美しい、と思う人に出会いたいのです。

この映画はまさに、それを映し出したような世界観でした。
ただ、「一生添い遂げる」のその先も描かれています。
幸せなことばかりではありません。
一生とか永遠とかは無くて、生まれたものはいつかは死ぬ。

わたしの室蘭での生活も永遠ではありませんでした。
でも記憶だけは室蘭に置いてきたままなのかもしれません。
知っている景色が写るたびに色々な思い出が蘇ってきました。

まだ、ここにいたのね、あのときのわたし。

幼い自分を景色の中に見つけたようでした。
死んだ人にまた会えたような気持ちです。
そうすると、なぜか涙が出てくるのです。

こういう風に感じたのは、わたしが室蘭出身だからでしょうか。
いや、そうじゃないのがこのすごいところです。
室蘭がもともと持っているノスタルジーな雰囲気と、
この作品全体の丁寧な運びとが、絶妙にあわさっているのだと思います。
わたしの表現力では到底表せないものです。

ぜひもう一回見たい……
今度はもっと客観的に

表現力が足りなくて、書きたいことをちっとも書けてないですが、今日は一旦これでやめておきます。覚え書き程度に。失礼しました。

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