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小学校教員。体育や授業UD、学習科学について学び中。

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最近の記事

運動共感能力に視点を絞る

リサーチクエッション体育の見方・考え方を「運動共感能力」と結びつける。コツの言語化をすること、またそれを授業で共有することで運動共感能力を高められるのではないか。 方法運動共感能力に関する尺度を作成する。それを単元の前後に実施し、成果を見る。 授業においては、コツの言語化の手立てとして「創作オノマトペ(諏訪、2015)」を使用する。オノマトペで表現させ、それを詳しく言語化することでコツの言語化につながるのではないかと考える。言語化の際には、小口(2021)の「運動のものさし

    • 促発身体知と創発身体知、からだメタ認知

      体育授業で育てるもの学習者は「できる」を目指して運動する。そこの試行錯誤に価値がある。その先に創発身体知があるのであり、指導者は自らの促発身体知をもって指導にあたる。運動学おいては基本であるが、問題意識としてあるのは「促発身体知を学習者に身に着けさせることは可能なのか」ということである。これこそが「運動の見方・考え方」なのではないかと。 そもそも身体知を体育授業でどう扱うか これには「コツ」「カン」をどう扱うかを考えることが必要である。いわゆる形態化身体知に当たる部分。も

      • 体育における「焦点化」

        covid-19対策のため、体育の授業に多くの制限がかかっています。地域によって程度の差はあれど、どこもこれまでと同じようにはいかないのではないでしょうか。 ただ、授業のユニバーサルデザイン(授業UD)で提案されてきたことを改めて見つめ直してみると、”withコロナ”の中でも大切にしていきたいことは変わらないのではないかと思います。 今回は、授業UDの中で大事にされてきた視点の一つである「焦点化」について、体育ではどのように考えていくべきなのか、個人的な見解をまとめてみた

        • 体育における「できる」と「わかる」

           「できる」と「わかる」の距離が遠いとされる体育。  運動のポイントを知識として頭の中にしまっても、できるようになるとは限らない。また、ポイントなんて全く意識していないにもかかわらず「なぜか」できてしまう子もいる。  これまでの体育では「できる」ことができていればそれでOKとされていた側面があるのではないかと思う。しかし、これからの体育では「自覚的に学ぶ」ことが大切になってくる。「できる」と「わかる」をつなげていく授業だ。  ただし、そもそも体育における「できる」と「わ

        運動共感能力に視点を絞る

          運動が苦手な子も得意な子も「同じ」教材で学ぶ

           前回、「全員が同じ教材で学ぶ」授業の中で、運動が苦手な子も「できた!」が味わえるようにしたいと述べた。  一般的には、様々な課題を提示して、それぞれの能力にあったものを選ばせるという方法を取ることが多いだろう。しかし、そのデメリットはかなり大きいことは前回も述べた通り。  体育で言う教材というのは、ゲームだったり技だったりするわけだ。ゲームは全員同じルールで、というのは割と普通だと思うのだが、器械運動等では、全員が同じ「技」を共通教材として学ぶことはあまり行われていない

          運動が苦手な子も得意な子も「同じ」教材で学ぶ

          運動が苦手な子も楽しめる体育

          楽しめる、というと語弊があるのかもしれない。 子どもにとって体育が楽しいと感じるのはどんな時だろうか。「みんなと運動できて楽しい」「思い切り動けて楽しい」「友達と関われて楽しい」といったところだろうか。 ただ、個人的には「できた!」を味わわせることが一番大切だと考えている。なぜそのように考えるのか。 私は子どものころ、運動がとても苦手だった。かけっこはいつもびりだし、鉄棒は何もできないし、マット運動では前転しかできなかった。ボール運動ではチームの迷惑になってばかりだった

          運動が苦手な子も楽しめる体育