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体育における「焦点化」

covid-19対策のため、体育の授業に多くの制限がかかっています。地域によって程度の差はあれど、どこもこれまでと同じようにはいかないのではないでしょうか。

ただ、授業のユニバーサルデザイン(授業UD)で提案されてきたことを改めて見つめ直してみると、”withコロナ”の中でも大切にしていきたいことは変わらないのではないかと思います。

今回は、授業UDの中で大事にされてきた視点の一つである「焦点化」について、体育ではどのように考えていくべきなのか、個人的な見解をまとめてみたいと思います。

授業UDにおける焦点化

焦点化とは、1時間の授業で何を教えるか、その焦点を絞ること(小貫,2014)です。例えば、学習課題一つとっても「登場人物の気持ちを考えよう」と提示されても、何を考えて表現すれば良いか大人でも困ります。一方、「中心人物の気持ちが変わったきっかけはどれか?」のような課題であれば、変化のポイントを根拠を持って見つけようと動き出せる子が多くなると思います。

体育で考えると、様々な道具や場を作って、子どもたちがローテーションしたり技を選んで取り組んだりといった授業が数年前まで広く行われていました。しかし、複雑な授業では何を学んだのかが子ども達にとって分かりにくい。さらに、教師にとっても「体育は大変」というイメージが先行してしまい、授業づくりを難しくしていたのではないかと思います。

体育の学習で「焦点化」するとは?

「できた!」を味わわせることが体育ではとても大事にされてきました。できた喜びは何物にも代えがたいものがあります。この「できた!」を味わわせるために、教師は工夫をしてきたわけです。

どんな工夫をしてきたのでしょうか?

私の場合、緻密にスモールステップを組んで、運動のポイントを教えていくことを意識してきました。運動の構造を把握し、単元の中にステップを組んでいって、ポイントを教え込んでいきました。1時間に1つのポイントに焦点を絞って。そう、まさに「焦点化」を意識して授業を進めていきました。そうすることで「できた!」という姿が授業を進める度に増えていきました。特に器械運動では顕著でした。

小さな「できた!」を積み重ねていくことで、一人一人を確実に伸ばしていっている。そう感じていました。しかし、徐々に「これでいいのだろうか」と感じるようになってきました。

焦点化の目的は?

焦点化することで、確かに「できた!」は増えていきます。しかし、どうして「できるようになったのか」を子ども達は理解しているのでしょうか。いや、ポイントは理解しているのだろうが、算数の「答え」のように言葉で覚えているだけなのではないでしょうか。

例えば、算数で「できた!」を味わわせたければ、公式等を「暗記」させるのが手っ取り早い。「きはじ」のような「やり方」を覚えることで、答えをとりあえず出すことが「できる」ようになるかもしれない。しかし、算数で「暗記」が第一だと主張すれば「それはおかしい」となるでしょう。算数では「数学的な思考」が教科の本質です。パターンマッチングをただ暗記するだけではいけないと思います。

では、体育ではどうなのでしょうか。体育は「できた!」まで到達させればいいのでしょうか。個人的には、体育は「身体を通した思考と表現・パフォーマンス」が本質だと思っています。「なんだか分からないけど、先生の言う通りにしていたらできた」では片手落ちなのではないでしょうか。

また、運動のポイントを順序良く教えていったとしても、それは算数のような「正解」では決してないということにも気づきました。例えば、マット運動「後転」の学習をしたとき、「お尻を遠くにつける」というポイントがあります。しかし、遠くに付けなくても回れる子がいるのです。お尻を遠くに付けることは、「勢いの伝導」が目的。お尻を遠くにつかなくても勢いを伝導させる方法は他にもあるし、子どもによってやりやすさは違うのです。

こうやって順序よく焦点化してポイントを伝えていくことで、もしかすると「私は違うんだけどな…」という多様な運動のコツを捨象していたのかもしれません。

「お尻を遠くにつきなさい」なんて指導してしまうと、「きはじ」と同じようなパターンマッチングに陥ります。それを「正解」として学ぶことは、「身体を通した思考」を経ていないため、生きた知識を身に付けたとは言えない状態になると思います。

では、改めて体育における「焦点化」は?

まず、「学習内容を絞る」ことの良さは間違いないと考えています。問題は、焦点化した学習内容を「どのように」学ばせるのか、という点です。子どもたちがどう「焦点化」するのか、ということです。

そこで、大切にしたいことは「発問」です。器械運動をイメージすると、授業の進め方にもよりますが、大きく以下の2パターンが考えられます。

①「どんな感じで動いている?」と大雑把な発問をして、子ども達の考えを吸い上げていく。

②「ひじ(等の体の部位)はどうなっている?」等と、焦点を絞った発問をして、子ども達に見るポイントを全体から切り取って問い、ポイントを絞って学習する。

どちらが良いかは、教師の指導スタイルと子どもの実態によると思います。個人的には、これまで②のようにすることが多かったですが、あえて①のようにすることが最近は増えています。

①で進めるにしても、子どもの声を拾いながら、みんなで学ぶのにふさわしい課題をその場で焦点を合わせていくことになります。①のように勧めるにしても、こちら側である程度、学ばせるべきポイントを事前に理解していることが必要になります。

①でも②でも、焦点を子ども達と絞っていくときに大切にしたいことは、「なぜ?」を重ねて問うことなのではないか、と考えています。

後転の例で言えば、「お尻を遠くに着くのが良い」で終わらせずに、「なぜ、お尻を遠くに着くと良いと思う?」まで踏み込むのです。そうすると、「勢いをつける(伝える、の方が本来のイメージですが)」ことにおそらく子どもたちの思考が焦点化されていきます。勢いをつける(伝える)のであれば、別に「お尻を遠く」でなくてもいいわけです。事実、「お尻を高い位置から下ろす」ことを発見した子もいました。

体育で焦点を当てるのは、「なぜ?」の部分だと思います。こちらが用意した「ポイント」を子ども達が「正解」すればそれでいいわけではないのではないか、というのが最近の自分の考えです。

なかなかこうして書いてみるとまとまりませんね。またやる気が出たらリライトするなりしてみたいと思います。

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