運動が苦手な子も楽しめる体育

楽しめる、というと語弊があるのかもしれない。

子どもにとって体育が楽しいと感じるのはどんな時だろうか。「みんなと運動できて楽しい」「思い切り動けて楽しい」「友達と関われて楽しい」といったところだろうか。

ただ、個人的には「できた!」を味わわせることが一番大切だと考えている。なぜそのように考えるのか。

私は子どものころ、運動がとても苦手だった。かけっこはいつもびりだし、鉄棒は何もできないし、マット運動では前転しかできなかった。ボール運動ではチームの迷惑になってばかりだった。

成長につれて、少しずつついていけるようになったのだが、それでもやはり周りと比べると自分の劣っている部分が目立ってしまう。運動自体が嫌いだったわけではないが、「どうせできるようにならない」という諦めに似た気持ちを持っていた。

そんな私が小学校教員となり、初任で体育主任に任命されたところから、体育について学び始める。体育について学ぶとなると、必然的に実技が伴う。体育主任にも関わらず運動が苦手。そんな姿を晒さなくてはならない。

しかし、さすがに教員同士というか、皆さん親切に教えてくださる方ばかり。で、しっかり教えてもらってやってみると、こんな私でも、アラサーになってからでも、子どものころ挑戦する権利すら得られなかった技ができるようになったりするのである。鉄棒で「だるま回り」ができたり、跳び箱で「首はねとび」ができたり。

これは衝撃的だった。大人になってからでも、きちんと教えてもらえば、ポイントを学べば「できた!」を味わうことができる。そして、とてもうれしいのである。これを子どものころに味わっていれば、ずいぶん違った人生を歩んでいたのではないだろうか。そう思わずにはいられない。

だからこそ、体育では「できた!」にこだわりたい。子どもたちに「できた!」を味わってもらいたいのである。

もちろん、運動が極度に苦手な子はクラスに1人2人存在する。そんな子たちにも「できた!」を味わわせるにはどうするか。

例えば器械運動。よくあるのは「様々な技」をカードや何かで用意して、様々な場を作って、「自分に合った技」を練習させる方法である。しかし、これは悪手だと考えている。

理由は主に3つ。1つ目は「新しい技に挑戦することが難しい」という点だ。自分で技を選ぶという以上、極端な場合、6年間前転しかしない子が出るということだ。そう、子どものころの私である。きちんと系統を追って指導していけば、新たな技にも挑戦できる可能性があるにもかかわらず、そんなこと自分では判断できず、挑戦する権利を得ることができない。

2つ目は「学び合うことが難しい」という点。難しい技に挑戦している友達を見ても、自分はそんな技できそうにもないので、何も学ぶことができないのだ。すごいな~、と思うだけだ。ましてや、自分より上手な子に何かアドバイスをしようなんて発想もあり得ない。

最後に、「技能が低い子ほど放置されやすい」ということだ。そんなことがあるのか、と思われるかもしれないが、実際自分が子どものころは放置されていた。それは、技能上位の子が挑戦している技は下手をすると「危ない」ものが多く、先生はそっちにつきっきりになってしまうからだ。

そうしたことから、私は「全員が同じ教材で学ぶ」授業の中で、運動が苦手な子も「できた!」が味わえるようにしたいと考えている。その方法については次回以降書いていきたいと思う。

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