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成長は相手を認めることから

相手が誰であろうと負けないという思いや、自分がNo. 1だという自負は自己肯定感として非常に大事なものです。
今の自分を認める、最大のポテンシャルを発揮するという点では有効ですが、こと成長という観点では阻害要因になってしまうかもしれません。

人は自己分析が苦手な生き物です。
絶対評価としての自己分析など到底できません。
身近な誰か、憧れの誰かを指標にして漸く自分を点数付けすることができます。

そんな時、相手の実力や能力を素直に認めることができないと、適切な自己評価ができなくなります。
相手を貶めた評価をすれば、低い相手よりまだましな自分という関係性を作ってしまう為、低い自己評価になります。
手の届かない葡萄を悔しなまぎれに見上げながら、あの葡萄は酸っぱいに決まっていると言う狐は、「葡萄に手が届かない自分」を図らずも「酸っぱい葡萄にさえ手が届かない自分」に貶めてしまっているのです。

逆に相手を認めることができるようになった時、相手の存在が自分を引き上げる糧になります。
例えばあの人は凄い、とりあえずそう決めつけたとします。
すると「何が凄いのか」を考え、「何故そうできるのか」など分析的な思考に繋がります。
相手の凄さを分析して理由を見つけたら、その欠片を真似てみることができるようになります。
理解して、真似た意識や行動をとることで、相手の凄さを取り込むことができるようになるかもしれません。

認めなければ過小評価に巻き込まれて自己評価が下がる。
認めれば凄さの片鱗を手に入れることができる。
どちらが魅力的かは考えるまでもありません。

自己肯定感は相対評価によってしか得られないものではありません。
誰と比べることもなく自らを認めることができれば、自ずと相手を認めて、自分をさらに成長させることができることでしょう。

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