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そうして私は、コロナウイルスそのものになったような気がした

もうすぐ夫のお義母さんの七回忌を迎えようとしていた。私は、親戚に七回忌のお知らせの封書を作成した。その風あたりの強かったことと言ったらない。同封の返信用葉書は誰からも返っては来なかった。夫が叔父や叔母に電話したところ、コロナが酷いので東京からは来ないで欲しいと言うことらしい。

そうだよね。もう高齢だし怖くて当然だよね。

しかし、返信ぐらいして欲しかった。せっかく作ったのに…。とは言っても三回忌のを書き換えただけなんだけどね。
地元の兄弟と2家庭だけで行うことにしよう。

ところが、それもダメだと言う。地元に来るなと。

私は、友人に電話してことの次第を説明した

友人の解説によると、田舎では自分の親戚が東京から来て、もし感染者を出したらもうそこには住めないと言う。

え、え、えー!そうなの?


私の脳裏に『村八分』という言葉が浮かんだ。たしか小学生のころ社会科で習った言葉である。子ども心に、遠い昔にあった過去の話だと思っていた。驚きであった。そう言えば、コロナ感染の話題でネット上での『村八分』的行為の話題もよく耳にする。

田舎での状況を話してくれた友人は緊急事態宣言が解除されてすぐ高齢の母親がひとりで暮らす田舎に車を飛ばしたそうだ。おそらく解除されてすぐのことだから、東京の感染者もわずかであった時の話だろう。一緒にスーパーに買い物に行くと、車のナンバーが東京であるのをお母さんはとっても気にして大変だったと言う。それで、友人はナンバーを地元ナンバーに変えようかとさえ思っているそうである。その解説で、私たちは叔父、叔母の反応をようやく理解できた。

コロナ禍での法事

しばらく様子をみることにしたが、感染者は減らない。私はこっそり行ってお経をあげてもらってお墓参りしてこっそり帰って来ることにしてもいいのではないか。あるいは地元の兄弟だけに任せてもいいのではと思った。しかし、海を見たいという下心も満載で行きたいという気持ちもあったのも正直なところであった。

一方夫は行くという決定をなかなか変えたくないようだった。義母は神仏をとても大切にする人だった。その願いに応えたい夫の気持ちも理解できた。不要不急の用事ではないと。法事が不要不急な用事なのかそうでないかは、個人の価値観によるので、私はなんともコメントしがたい。

迎えるお寺さんにも再度大丈夫ですか、と確認するとどうぞいらしてくださいとのことだった。よく言われているような対策をキチンとって気をつければいいのではないかと私は思った。

そうして、私はコロナウイルスそのものになったような気がした

何度話あっても、親戚の方々の意見は変わらない。法事そのものをしてはいけないと。東京から来てはいけないと。断固として拒否された。そこまで言うか。まるでコロナウイルス扱いである。

考えてみれば、夫は医療者だしリスクは高いのも事実には違いはない。世界中に蔓延する感染症。誰もが生まれて初めての経験である。恐怖と不安は、ある程度皆感じている。しかし事実をしっかりと受け止めながらも誹謗、中傷、村八分的行為は絶対に避けたい。




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