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熱を出したときのゆめ

こうして寝込んでいるあいだに、自分の居場所が、どこにもなくなったらどうしよう。

熱を出すたび不安になる。20歳を折り返した今でも。子どもみたいに思う。どうしよう。こうして寝込んでいるあいだに、世界から忘れられてしまったら。

流行り病に感染して数日。想像の2.5倍くらいしんどくて、ほぼ寝たきり状態で過ごしていた。熱は上がったり下がったり、咳のしすぎで腹筋は痛い、頭はがんがん身体は怠い、なにかしようにも具合が悪い。ひたすら目を閉じて苦痛に耐えるしかない。昼間寝るから夜眠れない。AM4時、かなしくてかなしくて泣きそうになる。仕事に行きたい。人に会いたい。たいへんだったよーって笑いたい。
渦中。今は渦中だ、と思う。世界から取り残された心地がするのも、全部全部病のせい。書きかけの原稿も読みかけの本も、そばにあるのに果てしなく遠い。

熱に浮かされながら、輪郭のぼやけた夢をたくさんみた。登場人物がたくさん出てきては、すぐに記憶からこぼれ落ちていった。走馬灯みたいだ、と思った。レイトショーで上映される走馬灯。

夢と現の狭間で、むかしのことを思い出した。新型インフルエンザが流行った年、私が小学5年生くらいだった頃。流行には抗えずまんまと罹患し、実家の部屋で寝込んでいたときのこと。
クリスマスの時期だった。ミュージックステーションが4時間スペシャルで、大好きな嵐が豪華メドレーを歌っていた。相葉くんが誕生日を祝われていた。私はぼうっとしながら、必死で彼らの歌を聴いていた。まだLINEがなかった頃。SNSなんて必要なかった頃。相葉くんがだいすきで、いつか、自分の書いた脚本を相葉くんに演じてもらうんだと意気込んでいた私。熱っぽい身体と、ちかちか光るテレビと、学校から送られてきたプリント類。

あのときの孤独感を、なつかしく思い出す。世界からそっと切り離されて、ちいさな部屋にひとりで浮かんでいるような感覚。自分と外の境が曖昧になって、意思ごとやわらかく溶け出していくような。不安と安心が入り混じった、薄いマーブル模様の感情。もうあの頃の私は、あの部屋にはいない。ミュージックステーションに嵐は出ない。私は大人になった。ひとりで寝込む部屋、天井、飲みかけのポカリスエット。

どうして、こんなにむかしのことを思い出すんだろう。これは、走馬灯でいうと起承転結のどこなんだろう。そもそも人生とは起承転結なんだろうか。そんなわけない、人は生まれて、生きて、いつか死んでいくだけなのだから。記憶はその断片でしかない。だいいち、私は走馬灯を見ているわけではない。38.5℃。ぬるくなった冷えピタ。熱を出したときに見る夢と、その狭間に起きる人生の回想。

熱を出すと、無理ができなくなる。起き上がろうとして、あ、だめだとまた横たわる。あれやらなきゃ、と思い、あ、だめだと目を閉じる。無理をしないと、いろいろなことが溜まっていく。ああ、無意識にしていた無理がたくさんあるんだな、と気づく。できる無理、と、したい無理、と、できない無理、と、しなくていい無理、は、分けたほうがいいんだろうね。元気なときでも。微熱。洗濯物の山。

熱が上がり始める夜。一日にすこしでも文章を書かないと具合が悪くなることに気づく。机が遠い。スマホを開く。まぶしい。情報が多い。目を閉じる。

スマホも本も見られないとき、ずっと架空の物語を考えていた。むかしもそうだった。ずっとずっと、頭のなかで文章を書いていた。何もできなくなっても、これだけはできるということが救いだった。そうやって考えて消えていった物語が、いったいいくつあるんだろう。私は生きているあいだに、そのいくつを、かたちにできるだろう。かたちにならなからといって、なかったことにはならないけれど。書きたい書きたい書きたい、書けない書けないくやしいくやしい。

結局、微熱状態で書き始めてしまった。ほわほわする。元気になったら焼き肉を食べにいきたい。はやく味覚が元に戻ってほしい。何を食べても無味なのは、思った5倍くらいかなしい。息を吸うとくるしいのも治ってほしい。はやく深呼吸がしたい。

ポカリスエットの海で泳ぎ疲れて、春、雨ニモマケズ花粉ニモマケズ。そろそろ咲く桜がみたい。欲求が出てくるのはいいことですね、経過良好です、無問題。言い聞かせては雪。情緒不安定な三寒四温。信じることがすべて、Love so sweetです。





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