産み育てることを想像して初めて垣間見えた、お母さんのこころ

親ではない私が、親になることを生々しく考えたとき、 
親の心が少し分かった(かもしれない)お話です。


これからの人生、あなたらしく歩んでください。

26歳になった日、母から手紙が届いた。

このつい二日前に実家に帰って普通に話していたので、「これからの人生」という壮大なパワーワードとの差に笑う。

きっとその辺にあったペンでサラリと書いたであろう文字から「子離れする!」という頼りない気概が感じられて、やれやれと思った。

いや、本当は少し泣きそうになった。

はじまりは区役所からの「検診案内」

いつもポストをきれいにしていたい。
「不要なもの溜めると、悪い気溜まるよ」という母の変な助言によるものだ。

ある日、カラフルなチラシの中に「子宮がん検診」のハガキが混ざっていた。検診を日本トップクラスで嫌っている私にとって、これらは一番目を背けたいもの。でも今年は違った。

「お母さん、私多分、結婚すると思うんだ」


そう、母に伝えたのは今年のはじめ。
少しびっくりしつつも、娘の人生の折れ線グラフをなんとか最高潮にさせたいといろいろ必死に考えた挙句、

婦人科検診に行ってみたら。怖くても。

と母は言った。

「結婚する=子どもを産む」。その方程式は、毛頭ない。そして、母もわりとリベラルでそんな考えは微塵も持たないタイプだ。
「子どもを産み育てる」。一つの選択肢が増えるだけ。

医者を嫌い、泣き狂いながら病院からの脱走を試みていた赤ちゃんの私を見ていた母である。
注射で発狂し、中学生にもなって、ごほうびシールをもらっていた私を見ていた母でもある。

私がどれだけ病院や検診の類を嫌っているのか重々承知している母が、一番初めにしたアドバイスが、婦人科検診だった。

今までに無かった「子どもを産み育てる」選択肢に、試しに思いを馳せてみた。

お母さんのこと、全部好きじゃない

「検診に行ったら?」とアドバイスをくれた母のこと。

母は確かにとてもいいお母さん。
でも、結婚していろんな苦しみに飲まれて、心の拠り所を娘の私にすることが多かった。

母の辛さを死ぬほど分かった上で。死ぬほどの罪悪感に苛まれた上で言うと。そんなお母さんのこと、本当はとても嫌い。甘えんな、とよく思って生きている。

でも、それ以上に、お母さんを助けられない私や、嫌いと思う私のことを、私は大嫌いだ。
だって、本当はとても愛しているから。

そんな、良くも悪くも仲良しな母。
他の人より、少し密着度が高いのかもしれない。母が笑えば、私はとても満たされた。


母に「結婚したいかも」と言った時、実はほんの少し恐れた。私の恋人を、母はどのようにジャッジするのか。万が一「あの人、大丈夫なの?」と言われたら、心の天秤が揺れかねないと思ったからだ。

—「お母さんがそう言うなら、少し考え直してみる。もしかしたら勢いに乗っちゃったかもね。」

または

—「甘ったれたお母さんなんかに、この人の良さが分かんの?結婚相手くらいはもう、自分で決める。あんたになんか、決めさせない。」



私の心にふつふつと沸いた言葉は、後者だった。「私はあの人のこと、めっちゃ好きなんじゃないか///」と、少し誇らしくなった。

でも、ほんの少しだけ、前者の言葉が現れる時も無いわけではなかった。だって、幸せの基準はいつも母だったから。

こうやって、いつも娘の人生にそそくさと現れ、ちょっぴり邪魔してくる母。100%好きになれないのは当然だ。


でも、たった今。
自分の体から出てきた赤ちゃんを抱いているイメージをした時。「この子に嫌われるお母さんでいたい」なんて一切思わない。「この子の一番の味方に。ただ、ひたすらに幸せに。」と、想像上でも切に願ってしまう。

「お母さんになりたかった」という母も、きっと私を初めて抱いた時、そう願ったはずだ。そして、その願いは、今日に至るまで続いているだろう。

でも、その願いが完全に果たされていないのは、私が母に「幸せにしてくれるお母さん」を望みすぎていたからではないか?

母は、はじめから"完璧な母"ではないのだ。

23:05頃に分かった"母の寂しさ"

当の私の彼は、とても忙しい。
それでもなんだかんだ、毎晩電話をくれる。

だいたい電話を切るのは23:00。その後はすぐ眠りに就くが、つい先日「あ、この思い、今日は伝えられなかったな」と、思った夜があった。ほんの些細な出来事だった。

23:05。急に寂しくなった。どうして伝わらなかったのか。何で話せなかったのか。電話の向こうにまだほんの少し残る存在感に対して、猛烈な寂寞感を抱いた。一番分かってほしい人に分かってもらえないのは、なんて悲しいんだろう。

—その時、ふと想像してみた。
子どもがお腹の中にいる胎動、胸に抱きかかえた時に伝わる肌の温かみ、私を「ママ」と呼び、笑ったり泣いたりする顔。

あぁ、もしかしたら「幸せであれ」と願うのと同時に、自分の子どもによって孤独が癒されてしまうことがあるのではないか。

一番しんどいと思っていた、母からの「助けて」という声。
これを自らも、無意識に発してしまうのではないか。

子どもが無条件に親に発する"ありったけの愛"に、意図せず何かを委ねてしまう心情が、少しばかり理解できてしまった気がした。


私の父はいつも仕事でいない人だった。たび重なる介護。そしていつしか、不機嫌な顔しか見せなくなった。

きっとお母さんは、単純に寂しかったんだ。


その時、私の中の「正しい母」がほどけた。

あなたはきっと、強い孤独に耐えていたはずだ。
一番の理解者であるはずの旦那に分かってもらえない虚しさを、脆い心で受け止め、頑張っていたんだろう。その背中を一番近くで見ていたのが私だったのに。

幼稚園で貧血で倒れた時も、「いじめられるから行きたくない」と登校拒否した時も、めそめそと泣きながら心配したのは、母だった。「お母さんが泣いてどうすんの」と思ったけれど、母も一生懸命”母”になろうとしていたんだね。

正しい人だけが、母になるわけではない。
みんな試行錯誤で、誰かの「お母さん」になっていくのか。

ええ、私らしく歩んでやる

「いつか結婚を望むときが、一番めんどうなことになるだろう」

そう信じてやまなかったが、意外にもあっさりしそうだと感じた。
会わせてみたところ、彼と母は、私の横で勝手に仲良くケラケラ笑っていた。

幼少期の私に、「なんやねん」とツッコまれた気がした。

失望することに慣れたこの心。まぁ、このままうまくいけばいいな、くらいは少し期待している。


でも。

ポストの中身のようにきれいに整理してみたものの、母への愛憎に振り回される時間が多い人生でもあった。そのことを正当化し、綺麗事にするつもりはない。

子どもが親を過剰に助ける縮図は、根本的に間違っている。

以前、カウンセラーさんに「母と同じことを子どもにしてしまうのが怖い」と訴えたことがある。すると、「それに気付いている地点で、あなたの世代で連鎖は止まると思うよ」と教えてもらった。

なまじ、柔らかな気持ちだけで、子ども時代を生きてきたわけではない。

しかし、「親ではない私」と「親になるかもしれない私」。その狭間で、前とは違う形でお母さんを理解し始めている。それが、少しばかり救いなのだ。

これからの人生、あなたらしく歩んでください。

この頼りない、でも無垢な文言を守ることが、最後の母への手助けだと思っている。

この頼りなさそのものを、時に憎み、時に愛してきたのだ。

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